これを見て思い起こさずにいられないのが、私を捉えて話さない疑問。
はてなブックマーク - 児童拳銃 .123 - rna のブックマーク / 2006年11月26日ぶっちゃけソースコードと言葉は違う。言葉は見た瞬間自動実行されるバイナリみたいなもの。アンカテ(Uncategorizable Blog) - 人はネットの言葉から受ける影響を自己管理できるか?
確かに私は、ネット上に書かれた言葉を「ソースコード」に近いものとしてとらえている。つまり、それが与える影響を読む人が管理できるものだと思っている。
人って本当に言葉で考えているの?
内田先生もMatzさんも、当然のように「人は言葉で考える」とおっしゃるのだけど、私にとって、言葉というのは「翻訳されたもの」であり、「バイナリー感」は非常に希薄なのだ。私が英語も日本語も数多の電脳言語も聞いて話して読んで書いてりできるけれども、いずれもどこかたどたどしいのはそのせいかも知れない。
確かに、あらゆることは「言葉」になりうる。少なくともデジタル表現ものは、すべからくそうだ。画像ですら実は「座標(0,0)に色(0xAB,0xCD,0xEF)、座標(1,0)に....」という「言葉」だ。「表現しうるもの」は、すべて「言葉」になる。これは電脳の根本原理でもある。
そこまでは、私も同意する。同意しなければ今の仕事はやってられない。しかし、「言葉で表現する」こと即「言葉で考える」ことを意味しているのだろうか?
少なくとも、私の考えは「文字列」ではない。もっと多次元の「もやもや」だ。私にとって「言葉」とはあくまでそれを「シリアライズ」(serialize)したもので、それを聞くということはいちいちそれを「デシリアライズ」(deseriarize)して、構文解析(parse)して....というまだるっこしい作業を伴うものだ。少なくとも「直感」とはほど遠い。
私は「言葉で考えている人」を見るたび、「器用だなあ」という羨望というより絶望を感じていた。いや、今も感じているのだが、しかし不器用にも利点があることを改めて教えてもらったような気がする。
void GraphicWizardsLair( void ); // Webで見かけたどっかの馬の骨が書いた「言葉」はデフォルトで汚染された外部入力と見なさなきゃ危険「言葉から受ける影響」の自己管理だけではなく、観測者の人も含めて外部の言葉を感情に直結させるのはマズいと思う。セキュアOS風に「汚染されている」言葉として、感情からは切り離しておかないと。
私にとって以上の文章は「え?みなさんそうしていないのですか?」というほど当然で、それがゆえに私は「空気嫁」なのだろうと思い至る。"Time flies like an arrow."を「時蠅は矢が好き」と解釈するようなことはしょっちゅうだ。
しかし全てがそうかというと、それも違う。まず触覚、嗅覚、味覚の三つに関しては、ずっと「バイナリー」感が強い。セックスというのは五感を全て使うが、印象が強烈なのも当然だろう。「百聞は一発にしかず」というわけだ。
あと、やはり「心を許している」人々の言葉もまたバイナリー感が強い。「プロトコルが成立している」ので、一段と「低レベル」の解析で間に合うという感じなのだ。それでも、こと言葉に関してはうまく「コンパイル」出来ないことも多いのだけど。"Talk is cheap"という言葉があるけれども、私にとってはむしろ"Talk is expensive to grok"という感じで、なぜ"Talk is cheap"なのかというと、「解釈コスト」が天引きされているからだと思ったりもする。
将来は、こんなくどき文句が登場するかも知れない。
「君のAPIを知りたい」
だめですか?
Dan the Time Fly Who Likes an Arrow Operator
人間は言葉によって記憶する
例えば今『黒板』と言う言葉を知らない人の前に壁に掛かった黒板があるとする
その人に取って黒板は黒板ではなくただの黒い壁です
なぜならその人は黒板と言う言葉を知らないから
その人に『黒板』と言う言葉を教え初めてそのは黒板と言うものを認識できます
人間は流動的な世界を言葉によって区切りをつけ認識をしています