法務大臣の言い放った罪と、有権者の言わなかった罪はどちらが重いのだろうか。

薫日記: 無情の国
在留イラン人家族の国外退去に長勢法務大臣は「お引き取り願いたい」と冷たく言い放った。

国籍法は、日本国民の定義を以下のように定めている。

国籍法
第二条 子は、次の場合には、日本国民とする。
  1. 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
  2. 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。
  3. 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。

その後特殊事項、例外事項が続く。が、基本的にこの第二条が、私を含めほとんどの日本人に日本国籍を与えられる根拠となっている。そう。あなたが日本人なのは、法がそう定めているからだ。あなたが日本で生まれ育ったからではない。

それで問題がある、というのであれば、法を変えるのが法治国家のはずだ。似たような事件は、今回が初めてではない。法の壁に泣いた日本生まれの「非、国民」も一人や二人ではない。

しかし、なぜかその時に法の施行者を責める声はいつも出るのに、「法そのものを変えよう」という声は聞こえない。私自身は、この国籍法第二条はおかしいと常々思っている。属人主義は、国家間の競争と協調のスピードがこれだけ速い時代にはそぐわないし、仮に属人主義をよしとしたところで、父母の待遇に差がある第二項はおかしい。

もし国籍法を抜本的に見直すという候補が現れたら是非投票させていただきたいが、与党野党を問わずそういった候補は見当たらない。見当たらないということは、この問題は国民にとって「どうでもいい問題」であり、そしてこの法律もまたどうでもいいのだと結論づけざるを得ない。

無情なのは、法務大臣だけではない。これをお読みのあなたであり、これを書いている私である。

法治国家というのは、そういうことなのではないか。

茂木健一郎 クオリア日記: 白魔術
最高裁判所、および件の法務大臣の判断は私のコモン・センスと違う。
しかし、日本の法の実務家にはそもそもコモン・センスを尊重する風土がない。

それを風土のせいにすることこそ、我らがコモン・センスなのではないか。

法が悪ければ法を変えればいい。それを放置しているのだから有権者が悪い。もちろん我々のほとんどは法の実務家ではなく、そして法の実務家のほとんどは公選されるわけではないのだが、それでも日本の法律では、立法府の法の実務家は公選されるのだし、そして行政府の大臣の過半はその中から選ぶことになっている。もし法の専門家に「コモン・センスを尊重する風土」がないのだとしたら、それは我々に「コモン・センスを法に変えていく」風土がないからだ。

逆に、情であればあふれんばかりに存在しているのもまたこの国の風土である。

CWSコモンズ via heuristic ways - 子供たちの祖国
「まりはもう日本人じゃん!!」。そう言ってくれたのは私自身でなく、いつも一緒にいて私を一番見てきている私の友達です。私は日本人と変わらない事を率直にうったえている、何よりの証拠です。

必要なのは、「まりはもう日本人じゃん!!」と彼女に言ってあげることではない。「まりをもう日本人として認めるような法律を作れ」と為政者に要求する事だ。少なくとも、それが法治の意味する所である。彼女の学校は、そのように教えてきたのだろうか?

もういい加減法の不備を法務大臣のせいにするのはやめにしないか。

日本の法には、法務大臣以外でも「大臣の許可」という条項が多すぎる。結局のところ、「全て大臣が悪うございました」ということになってしまう。我々は今後も大臣をそういう「例外処理人」として使って行きたいのだろうか?

それがいやなら、いっそ情治国家を名乗るべきなのではないか。

Dan the Japanese by Law