なんで私がPerlを愛用している理由は、実はこれなのです。

創造的労働者の悲哀 (内田樹の研究室)
久しく労働は(主観的には楽しくても、制度的には)義務であり苦役であった。
しかし今、労働は創造となった。
そのせいで仕事をする人々はその定義上、仕事をつうじて絶えず自己実現の愉悦と満足にうちふるえていなければならなくなった。
Shiro
「創造」や「芸術」といったものが、相変わらず、ひどく誤解されていることが 不幸の元であるのかもしれない。三木清が言うように、岡本太郎が言うように、 芸術は生活の中にあるものではなかったか。 それは生活を楽しむ技術(三木)であり、自由を取り戻す手段(岡本)ではなかったか。

Perl を使っていて、というより Perl Community に身を置いていて嬉しいのは、この「創造」ということに対して身構える必要がずっと少ない事。肩の力が抜けるのです。

404 Blog Not Found:オリジナルの値段
あたりを見渡すと、インターネットの世界でうまく行っているもののほとんどは、オリジナリティの高さではなく「真似される頻度」によって決まっているようだ。インターネットのサーバー側を支えるLAMP(Linux, Apache, MySQL, Perl/Python/Ruby/Programming Languages)には、実はどれ一つとして「オリジナル」なものはない。すでに過去にプロトタイプがあったものをきれいに「まとめている」ものがほとんどだ。この点はすでにLarry Wallが7年も前に指摘している。彼の言うところのポストモダンとは「オリジナル」にこだわることではなく「自己流に真似する」ことにある。

その七年前の彼の台詞を、ちょっと引用してみます。いつか全訳を出したいのだけど...

Perl, the first postmodern computer language
I could go on about simplicity, but let's move on to the next cult. Modernism is also a Cult of Originality. It didn't matter if the sculpture was hideous, as long as it was original. It didn't matter if there was no music in the music. Plagiarism was the greatest sin. To have your work labeled ``pastiche'' was the worst insult. The only artistic endeavor in the Modern period not to suffer greatly from the Cult of Originality was architecture. Architecture went in for simplicity and functionalism instead. With the notable exception of certain buildings that were meant to look like Modern art, usually because they contained Modern art. Odd how that happens.
[拙訳:単純性について語り続けてもいいのですが、次のカルトに行ってみましょう。モダニズムというのは「独自性のカルト」でもあります。見るに耐えない彫刻でも、オリジナルならそれでいい。音の無い音楽もアリ。剽窃は最高の罪で、作品を「パスティーシュ」と呼ぶのは最大級の侮蔑というわけです。モダン期で「独自性のカルト」の影響をそれほど受けなかった分野が建築で、この時期建築は単純性と機能性を追い求めていました。著名な例外を覗けば、ビルディングそのものがモダンアートそっくりで、たいてい中にモダンアートを所蔵しているというのがその理由です。なんだか本末転倒ですね。]
The Cult of Originality shows up in computer science as well. For some reason, many languages that came out of academia suffer from this. Everything is reinvented from first principles (or in some cases, zeroeth principles), and nothing in the language resembles anything in any other language you've ever seen. And then the language designer wonders why the language never catches on.
[拙訳:電脳科学の分野にも、この「独自性のカルト」が見え隠れします。アカデミアにおける電脳言語がその影響を被っています。全てを第一原理から再構築し(第ゼロ原理というべきでしょうか)、言語のどこをどう見ても、それまで見たどの言語とも似ても似つかないことをもってよしとしたはずですが、言語の設計者はなぜその言語が世の中に追いつけないのか悩むというわけです]
No computer language is an island, either.
[拙訳:「孤島言語」なんて、存在しないのに。]
In case you hadn't noticed, Perl is not big on originality. Come to think of it, neither is Linux. Does this bother you? Good, perhaps our culture really is getting to be more postmodern.
[拙訳:まだ気がついていない方のために念を押すと、Perlは独自性の面では大したことはありません。考えてみればLinuxだってそうです。私はなにか悪い事いいました?[聴衆を見て]結構です。我々の文化はもっとポストモダンになってきているようです。]

なにせ言語の父がこういっているのですから、我々ユーザーとしては悪びれることなく「労働」に励むことができるわけです。

「創造」に対してむしろこういうスタンスでいた方が、結果的に「創造的」な成果を残す確率が大きくなるというのも面白いと思います。

Shiro
自分ではない、メディア等で流布される特定の人物の生活を、それこそが クリエイティブで個性的な生活だと勘違いしていれば、そりゃ 自分自身が「創造的」「個性的」に生きるのは難しかろう。 他人の人生を生きようとしてるわけだから。

たとえそれがどんなに凡庸に見えても、あなたの作ったもの、あなたのやったことは、そのことそのものに価値がある。実は「創造的」で「個性的」な人は誰もが知っていることですが、それをここまで分かりやすく言ってくれたのが Larry Wall だったわけです。

Shiro
でも一方で、どんなに「自分に合った」仕事であっても、日常で やっていることの95%は泥臭い、本質とは一見関係無いような 作業であるのが普通で、表面的な作業の無意味さだけを見ていると その仕事の「おもしろさ」を見損なう危険がある。で、 そういうことを嗅ぎわけるには、やっぱり「とにかく働いてみる」 経験が必要だったりする。

だから、「ラクダ本」の冒頭は以下ではじまるのでしょう。

Perl is a programming language for getting your job done.

結局「創造」というのは、泥団子をこね回すことなのだから、泥を嫌悪していてははじまらないということなのです。その意味で、現代の「美術館」は清潔すぎるのかも知れません。絵画のコーナーはもっとテレピン臭くていいし、彫刻のコーナーだったら文字通り泥臭く、かつ銅臭くてもいい。本当に楽しいのは、作品を鑑賞することよりそれを制作する過程なのですから。

Dan the Artist for His Own Sake