「せいぎのう」を「性技能」と変換したのは間違いじゃないと思う>ことえり
H-Yamaguchi.net: 暴論:「正義の味方」こそ規制すべきなのではないか相手をやっつけていいのは「正義の味方」だ。正義の味方だからこそ、「悪者」に対して暴力をふるうことを許される。悪者は悪いことをするから、やっつけられても文句はいえない。それから、昔はそうでもなかったが、今は割と、悪い奴をやっつけるのなら、正義の味方が多人数で立ち向かうのも許される。そういうルールだ。
確かに、正義の味方ほど怖いものはない。なにしろ、正義の味方に攻撃されていることそのものが悪の証しなのだ。
もしそれがそのまま子どもの遊びに取り入れられ、、ある特定の子どもが「正義の味方」に、別の特定の子どもが「悪者」となるといった「役割の固定」があったとしたら、それは暴力以外の何だというのか。そういうのを「いじめ」と呼ぶのではないのか。
日本における検察のありようは、正義脳ゆえのことかと言ったら風説の流布だろうか。
しかし、その一方で日本における「正義脳の恐怖」は、なんとか「ゲーム脳の恐怖」程度で済んでいる。某国の"Justice"に比べたまだかわいい。彼らは「正義」なので、その味方をするこの国は文字通り「正義の味方」というわけである。
話がずれた。いたいけな怪人を集団リンチする選対、じゃない戦隊モノはさておき、かわいいものがもてはやされるこの国では、悪ですら愛嬌があった。例の毎回頭部移植をしている猟期アニメにしても、ヒロインは明らかに「悪」の方だし、タイムボカンシリーズの悪玉トリオという偉大な例もあるし、戦隊モノですら愛嬌のある怪人が多い。
悪にすら愛嬌を見いだすのは、この国の美しいところの一つとしてAgeずにはいられない。
「ゲーム脳」や「国家の品格」がベストセラーといったところで、「デビルマン」(「映画はなかったことにする」とたけくま教授はおっしゃっているので本blogもそれに従う)や「銀英伝」に比べたらものの数じゃない。その点では「正義脳の恐怖」は今のところは杞憂だと思う。杞憂だと思いたいのだが、「正義の味方」が増えているかはさておき、目障り目立つようになってきたようには感じる。
しかし「美しい国へ」というのはちょっと正義がどぎつくてやだな。「かわいい国へ」ってのはだめなのかしらん。
Dan the Evil Blogger
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