図書館に関しては、以前「404 Blog Not Found:図書感は図書館で磨かれる」でも書いたのだが、最近また議論が活発になって来たようなので改めて。

私の場合、まさに以下の該当例だった。

うさたろう日記 はてな版。
話を戻す。たとえば、首都圏をはじめとする大都市圏のような文化的資本蓄積の豊かな地域であれば、必ずしも公共図書館に行かなくとも巨大な本屋はいくつもあるし、大きな博物館、美術館もあって、さまざまな文化に触れることができる。もちろん、入手できる文化というのは狭義の意味での文化に限らず、法律・経済・社会・科学技術をはじめとするさまざまな情報を含めたものである。しかしそういった文化資本の蓄積の非常に薄い地域では、そうした文化に触れる手段はきわめて限定される。そうした地域に住む住民は、そもそも最初から情報に触れる機会を持ちえず、したがって自己実現の手段を獲得することもできず、経済的に低い地位にとどまったままとなる。

私は中卒、それもきちんと登校し、授業を履修した上卒業というのではなく、「学校行ってもやることないから卒業式まで登校しません」と一筆書いた上に親に署名してもらって、それを学校に提出した上で堂々と不登校していたのだが、その間どこで時間を過ごしたかと言えば、図書館である。その様子はすでに前述の「図書感は図書館で磨かれる」で書いたので繰り返さないが、当時私がいた田舎--といっても東京から2時間なので大した田舎ではないが--では、知に飢えた中坊の居場所というのは図書館位しかなかった。もしあのときの図書館体験がなければ、私にとっての書とは布団代わりの新聞紙しか意味しなくなっていただろう。

電脳プリオンの日記
もし貧乏人が本を買えないとか進学できないというのを懸念するなら、奨学金などの形で現金を与えた方がいいだろう。

それでは、図書館をやめると一体どれだけの現金が節約できるのか。やや古いデータだが、「公立図書館等の現状に関する調査結果について」によると、2002年度の全国合計が286億円。日本人一人あたり、わずか225円である。なんと本一冊分に満たないのである。ちなみに日本学生支援機構の2004年度予算は、8,387億円。図書館を潰して奨学金に充てるのは、それこそ焼け石に水というものである。

裏を返すと、図書館と言うのはコストパフォーマンスが高い。誰でも利用できる、ということは、奨学金や所得補助のように利用者の選別コストが発生しない。ゆりかごから墓場まで、老若男女貴賤を問わず利用できることそのものが、図書館の効能を高めているのだ。また、低所得者への補助はその特性からフローとならざるを得ないのに対し、図書館の書籍はまさにストック。続ければ続けるほど効用は高まって行くのだ。

私はなにも「利用者を選別した上でのフロー補助」を否定するつもりはない。それどころか日本における教育の公的補助は少なすぎると常々思っている。だからこそ、公立図書館の整備は第一優先で行うべきだと考えている。これほど費用対効果が高い公的機関というのは、そうはないのだから。

Dan the Bibliomaniac Taxpayer