以下までは禿同しながら読んできたが、

池田信夫 blog 自生的秩序
だから制度設計でもサービスの設計でも重要なのは、なるべく意思決定をユーザーにゆだね、自由に改造できるようにすることだ。

以下を見て突っかかってしまった。

池田信夫 blog 自生的秩序
もちろん、2ちゃんねるのようなアナーキーに転落しないように最小限度のルールを設定する必要はあるが

問題は、その最小限度のルールというのが一体何か、だからだ。

そうして考えていた結果が、以下の結論。

秩序を維持するのに必要なルールセットは、その秩序が支配する組織のサイズが大きくなるほど大きくなる。

2chを潰そうという動きがなぜ起きるか? 2chが無秩序だからではない。2chの規模に対して、ルールセットが過小だからだ。

もし2chのユーザーが「1000万人」ではなく「1000人」であれば、たとえそこで誹謗中傷されても、もっと大きな場で異議申し立てすればその影響力はキャンセルできる。それどころかこの程度であれば「言わせておけ」というレベルだろう。

しかし、2chは今や個人で紛争解決するのはあまりに大きい。にも関わらず、2ch自体は紛争解決のルールを持たない。2ch自体に紛争解決能力がないのであれば、当然2chそのものを潰してしまえという意見になるのは自然な流れだ。

2chがもし崩壊するとしたら、自らの重さに耐えられなくなって崩壊するのである。

これは、ありとあらゆる組織に適用できそうなルールに思える。単細胞生物は、骨格も循環器も呼吸器も必要ない。それが組織が巨大化するにつれ、まず循環器が必要になり、次に呼吸器が必要になり、そして重力がもろ働く地上においては骨格も必要となる。もちろんそれらの組織を統括する情報器、すなわち神経は、組織が巨大化すればするほど複雑化する。

この生物の例は「ゾウの時間 ネズミの時間」でさんざん紹介されているのでここではくどくど述べないが、2chというのはいわばゾウなみの図体に、ネズミどころかミジンコ程度の秩序しかないと言える。

だから、2chのようなものが生き残るには、手段は二つということになる。

より多くのルールセットを導入するか。

それともより小さくなるか。

要は分裂してしまえばいいのである。一人のひろゆきを捉えることはそれほど難しいことではないが、千人のひろゆきを捉えるのはまず不可能である。その代わり、千の2chの個々の板の社会的影響力はずっと小さくなる--誹謗中傷が問題にならないほど。

賢明な2ちゃんねらーはすでにそれがわかっているはずだ。しかし、彼らの中から第二、第三のひろゆきがでないのはなぜだろう。実はこれにも理由がある。

秩序どおしの紛争を「平和的」に解決するには、秩序の名義人、すなわち実名の持ち主が必要である。

ここにおける実名の持ち主は、秩序を者と必ずしも一致する必要はないが、紛争に関する責任は負う。負う、すなわち「王」だ。秩序通しの紛争は、通常この「王」を争う将棋のような形を取る。王を詰む、すなわち説得したり折伏したり屈服させたりすれば、一方の秩序が勝利したことになる。

2chが分裂する、ということは、分裂した数だけ「名無しでない」者が必要ということになる。そして名無しでない以上、そこはもう彼ら「新王」にとっては2chではないのだ。責任はあるのに報酬、すなわち2chに名無しとして参加していたことによる快感、はない。この矛盾があるからこそ、2chは分裂しなかったのだろう。

2ちゃんねるの致命的欠陥――ひろゆきは2ちゃんねらーに責任転嫁すべきだ [絵文録ことのは]2007/01/15
ただ、誰も責任を取らないシステムは、存続し得ないだろう。責任は、一時的に逃れたとしても、かならずどこかで誰かが取らなければならないからだ。

なぜこういうルールが発生したかといえば、その方が「平和的」だからだ。王が倒れ国が破れても、これならば民は民のままでいられる。

しかし、もし王が不在なら、一体どうなるか?もし将棋で王を詰んでも勝敗は関係ないということになったら一体どういうことになるのか?

全ての駒を取るしかない。

2chという王国は、王自身が「私は王様ということになっていますが、王としての責任は追いません」といっているようなものだ。今のところこの王様は外国からは嫌われていて、とりあえず王だけをとっちようというのが今の動きであるが、もし王様をいくらとっちめても「倭寇」がなくならないとなればどうなるか?

国ごとほろぼせ、となるのではないか。

最後のオプションに比べたら、王を公開処刑するというのはずっと平和的なのだ。

2ch王国の臣民諸君は、どのようにお考えなのだろうか。王は追われても国は残ると信じているのだろうか。それとも、国がなくなってもそんなものはいくらでも作れるとたかをくくっているのだろうか。

しかし、それが国である以上、王は必要なのだ。大統領、首相、代表、世帯主....呼び名は数あれど、およそ人を細胞とする組織には王がおかれている。もしいない場合は、それは単一の組織ではなく、人数分の「単細胞組織」が存在しているに過ぎない。

いや、名無しという民こそ、もっとも切実に王を必要としているのではないか?ひろゆきという王は、使い捨てにできるほどありふれた王なのだろうか?

Dan the Alien Thereof