そんなpalさんをはじめとする喪男諸君にまずは一曲。このアルバム2曲目。
pal-9999の日記 - セックスする友達というのなら文句は言わんが増田で、こんな意見がでたが、まぁ、この女二人は、どうかしてるんじゃないかねと思うが。
♪私は狼なのよ 気をつけなさい ♪年頃になったなら 慎みなさい ♪キノコをかぶっていても 心の中は ♪狼が牙を剥くそういうモノよ ♪このオレだけは 大丈夫だなんて ♪うっかり信じたら ♪ダメダメダメダメダメよ ♪SOS SOS ♪ほらほら書かれているわ ♪きょうもまた君か 乙女のピンチ
SOSといっても20代だとむしろこっちを思い出すかも。私でさえ当時まだ「狼」じゃなかったはずだし。しかしこれほど過不足ない歌詞というのも珍しい。
歌はこれくらいにして、本題。
もし男女間の友情成立に、性欲が邪魔するというのであれば、一時的に「男」でなくなればいいだけの話じゃないかと思うのだが。
そんなの不可能?
むしろ一日24時間週7日、ひたすら「男」でいられる方が難しいと思うのだけど。
我々は、時に通行人だったり、時に買い物客だったり、時に仕事人だったりする。自分が何者かであるかは、マルチタスクのOSのプロセスのごとく、時に応じて変える。いや、変えられなければ社会人として認められない。そのプロセスの多くは、自分が「女」だったり「男」だったりすることを出してはならないことになっている。
だから建前上は、男女の友情を確立できない者は、社会人失格、ということになる。社会通念だけではなく、法もそうなっているのは言うまでもない。頭にデートがつこうがつくまいが、レイプは犯罪である。
問題は、この「友情」という奴である。気になる彼女と単なるお友達でいる苦痛の原因は、満たされる性欲だけなのだろうか?
もちろん「遠因」としてはそれもあるだろうが、さらなる苦痛は、自分の部屋という「私的空間」において、「社会人」としての振る舞いを強いられることから発するのではないか。もう少しかみくだいて説明すると、カレがここまで近づきたいと思っている距離と、カノジョがここまで近づきたいという距離の差が、苦痛の原因なのではないか。
こういう「社会的距離の非対称」による苦痛というのは、別に男女間に限った話ではなく、自然人どおしに限った話ですらない。家族と家族、国と国の間にすら生ずる苦痛なのだ。誰かと誰かがつきあえば、避けては通れない、苦痛であるのだ。
断言しよう。この苦痛は、たとえその親友と男女の仲になっても解消されるものではないのだ、と。むしろそのことが苦痛をさらに高める原因にすらなる。ヤルも地獄、ヤラぬも地獄なのだ。
さらに困ったことに、この苦痛は、より近い距離を求めるものに一方的に生じる。カノジョよりカレの方がイタいことが多いのもそのためだ。金持ちが貧乏人の、強者が弱者の気持ちがわからないのと同じ構図がそこにはある。
しかし、貧乏人が金持ちになるには金持ちとつきあわねばならぬのと同様、弱者が強者となるためには強者とつきあわねばならぬのと同様、男女の友情の苦痛に耐えられぬものは、ましてや男女の仲を得ることは困難なのだ。
持てる者と持たざるものの比喩がもっとも痛くささるのは、この「男女の友情」においてさえ、「男女の仲を誰かと確立している」者の方が、そうでないものよりも優位なことである。独り身よりも恋人や配偶者がいる人の方が、別の男女と男女の友情を成立させやすい。ダンナや奥さんはこの場合「安全パイ」なのだ。実のところそれは大した保証ではないのだが、それでも「男女の友情が男女関係になってしまった場合のペナルティ」が大きくなるというのは充分な気休めとなりうる。
よって、「男女の友情」を可能にするもっとも簡単な方法は、別の誰かと男女の仲になり、それを友人に通知することとなる。身も蓋もない言い方をすれば、「セックス間に合ってます」フラグを常に 掲げるということだ。薬指に指輪をはめているというのもいいかも知れない。
だからせめて、持てる者は、
「他に好きな人がいるの」だと。「君の事は大事な友達のつもりだった」だと。
ということを友達なる前に言うべきだろう。そうすることは、デートレイプの予防策にもなるし、カレやカノジョに対して誠実であることの証しにもなる。危ないのは独り身の男の部屋に一人で行くことではない。自分の立場を彼からみてあいまいなまま放置することなのである。
それが「慎みなさい」の正体だと思う今日この頃である。
Dan the Sinner

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