それは断じて教師次第、ではない。

分裂勘違い君劇場 - 子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明
。。。とは言ったものの、これらは全部屁理屈で、現実には、先生の魅力次第なのよ。

それを教師次第とすることは、あなたの人生を教師次第とするのと同じだからだ。

同じ理由で、学習を勉強と称するのは、人生を勉めて強いることにしてしまう。一回こっきり、しかも大して長くない一生を、いやいやそれも人任せにしてしまうなんて最低ではないか。

学習とは学校に通い教師の授業を受ける事ではない。五感で感じるありとあらゆることから何かを得る事なのだ。そう。人生は学習なのである。学習が勉強であるというのは、人生とは勉めて強いるものであると言っているに等しい。もしそれが本当なら、レトリック抜きで死んだ方がましだ。

もちろん、人生において勉めて強いないと先に進めないことはままある。栗を食べるには皮を剥かなくてはならない。エッチをするには服を剥かなくてはならない(全部でなくてもいいけど)。そして勉めて強いた過程を経て得た結果の方が、喜びも大きいというのも確かだ。

しかしそれはあくまで過程であって、結果ではないのだ。あくまでそこに栗の実や裸体があるから、我々は自らを勉めて強いるのである。よって勉めて強いるというのは、あくまで自分が自分に対して行うものでなくてはならない。勉強するのは教師ではない。あなた自身なのだ。

たしかによい教師に巡り会うに超したことはない。よい教師は本来であれば「勉強」しなければ習得できないことを、そうと感じないで学ぶ事を可能とする。しかしそれは「いればよい」というレベルであって、「なくてはならない」というレベルではない。悪ければ悪いで、そこから多いに学べるのだ。人によっては、その方が効率的に学べるかも知れない。私自身も振り返ると「教師」よりも「反面教師」からより多くを学んだような気がする。

一つ確かな事は、勉強しないと学習できぬ者は、楽しんで学習できる者には逆立ちしてもかなわないということ。およそその道のトップで、いやいやそうなったものなどいない。身につけるべきは、勉強力ではなく楽習力なのだ。

Dan the LernerLearner