「プリンキピア」って聞いた事がない人は以下のリンクを参照。
自然哲学の数学的諸原理 - Wikipedia『自然哲学の数学的諸原理』 (しぜんてつがくのすうがくてきしょげんり) は、アイザック・ニュートンの非常に有名な著書で、ラテン語の原題は "Philosophiae naturalis principia mathematica"。1687年刊行、全3巻。「プリンキピア」という略称でもよく知られている。
まあ世界で一番有名な科学者の、一番有名な著作物なのだけど、この中にも捏造があったことは「背信の科学者たち」でも指摘されている。
もちろん、データを捏造したからといって、それが間違いだとは限らない。
あるある大事典の「実験捏造」は「納豆ダイエットに効果がない」を意味しない [絵文録ことのは]2007/01/23つまり、今回の件は「納豆のダイエット効力」を否定したのだろうか? そうではない。ダイエット効力を裏付ける「実験がなかった」からといって、納豆のダイエット効果そのものが否定されたわけではないのだ。
科学的に有名な例だとミリカンの油滴実験がある。こちらは先ほどの「背信の科学者」にも載っているし、昨年のベストセラー、「99.9%は仮説」でも紹介されている。電子が粒子であることは結果としては「正しかった」のだけど、捏造は捏造で、それでもノーベル賞はノーベル賞だ。
「あるある大事典」を存続させよう「ストーリーが先」という風潮をなんとかしないかぎり、捏造はいつでも起きます。
しかし、「卓越した仮説に対して報償が与えられる」という「伝統」の成立には、科学も多いに関わっている。そしてその報償を得るために捏造というショートカットが濫用されるという「伝統」も、ニュートンどころかプトレマイオス以前まで遡れる。
「ストーリーが後」というのは、本当に可能なのだろうか。
少なくとも、脚本のないドラマや仮説のない科学実験に人様が金を出すということはあまりなさそうだ。
例えばカミオカンデ。小柴先生にノーベル賞をもたらしたこの観測装置は、元々ニュートリノを見るためではなく、陽子崩壊を見るためのものだった。KAMIOKANDEとは、Kamioka Nuclear Decay Experimentのことだった。おまけとして、「ニュートリノも見えますよ」と「余白」に書いておいたおかげで、そしてタイミングよく1987Aが超新星爆発を起こしたおかげで、Nuclear DecayはNutrino Detection、「ニュートリノ検出」という新たな意味を与えられた。このあたりの事情は←の「ニュートリノ天体物理学入門」に詳しいのではお読みいただくとして、確実に言えるのは、陽子が崩壊するという「ストーリー」がなければカミオカンデは建設されなかったということだ。
このとおり、筋書きになかったエピソードというのは面白いし有用なのだが、しかしはじめに筋書きがなければ何もはじまらないのだ。だから「ストーリーが先」というのは、害はあっても益がある以上、間違った風潮とは言えないはずなのだ。
問題はストーリーが先にあることではなく、ストーリーの結末を急かすことにこそあるはずだ。
本当に納豆にダイエット効果があるかどうかを突き止めるためには、何年にも渡る疫学調査が必要なはずだ。費用だって何億円もかかってもおかしくない。それだって新規の医薬品開発より安いかもしれない。こちらは桁が一つ以上違う。
しかし、TV番組では、それをたかだか一時間にまとめてしまう。そういう番組を見て育てば、仮説の検証というのは何度かのCMを挟んだ後に得られる程度のものと勘違いするのもやむえないのではないか。
「あるある大事典」を存続させようそれよりも「あるある大事典2」を存続させるほうがいいのではないでしょうか。今度こそ、正しい情報を伝える番組として。
だから、その「正しい情報」を簡単に得られると思い込ませることこそ間違いなのではないか。単に結果発表をするだけなら、同じ花王提供の番組ならWBSの前にやっている5分程度の番組で事足りる(この番組もあるある大事典チックではあるのだけど。ヘルシアって本当にヘルシーなの?苦くてうまいけど)。いや、5分だって長い。ちびまるこちゃんの歌でよろしい。「♪エジソンはえらい人 そんなの常識」ってもんである。
本当に1時間の番組を作るだけの価値があるのは、その過程をきちんと紹介することにこそあるのではないか?「納豆にダイエット効力」があるという情報が誤っていたからではなく、その情報を抽出する過程が捏造されていたからこそ、あるある大事典は糾弾されたのではないのか?
5号館のつぶやき : 平成の納豆あるある大事件と科学者の責任たとえテレビの力には遠くおよばないとしても、まちがった使われ方をしている「科学」に対してNoを言い続けることをやらなくても良い理由にはなりません。それができないのなら、少なくとも公的機関から科学者として給料をもらってはいけないように思います。
いや、これも違うと思う。Noばかり言う人、英語で言う所の Naysayer が社会の過半数に受け入れられることはまずない。Noばかり強調するのは、万年野党宣言をしているに等しい。Pro-Lifeの反対がAnti-Lifeだったら、誰もPro-Choiceを支持しないだろう。Noではなく何に対してYesなのかを表明して、そして「こちら」のYesの方が「あちら」のYesよりも支持するに値する理由まで示して「なんぼ」なのではないか。
Dan the Skeptic
http://www.mynewsjapan.com/kobetsu.jsp?sn=584
『「あるある」の花王 ヘルシア成分・茶カテキンサプリで、また肝障害』
真偽のほどは判りませんが、ご報告まで。