全体的な基調にも各論にも概ね禿同なのだけど、3ページ目に引っかかったので。
2007年を斬る: 著作権延長論に物申す (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)それを創作者の死後から「70年」に延ばそうという声が上がっている。この文章の権利が、2120年あたりまで続くようにしようというわけだ。そして、それに反対する声が一方である。僕は明確に反対の立場を取っている。
そこらのメディアを見てみよう。著作物のほとんどは「超級アイドルの肉感ぷにぷにボディに視線釘付け!」なんていう愚にもつかない代物ばかり。つまり著作権が延長されたら、保護の対象になるのはほとんどがそんな代物だ。そんなものを、作者の死後何十年も守り続けてあげる必要があるんだろうか。
かと言って「超級アイドルの肉感ぷにぷにボディに視線釘付け!」と、(ソードマスター|宇宙戦艦)ヤマトに別々のルールを適用するのは、法の下の平等に反する。
確かに「超級アイドルの肉感ぷにぷにボディに視線釘付け!」的なもののほとんどは死後を待たずとも忘却のかなたに追いやられるだろう。しかしそのうちのいくつかは「チャタレイ夫人の恋人」や「O嬢の物語」になったりするかも知れない。そしてどれがそうなるかは、時のみが知っている。
2007年を斬る: 著作権延長論に物申す (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)例えば、小説や本を人は昔ほど読まなくなった。そうしたものが人々の生活の中で持つ重要度は低下しているわけだ。2006年のベストセラー『東京タワー』が50年後も多く読まれているだろうか。僕はそう思わない。音楽にしても、かつての美空ひばりやビートルズのような存在感は、浜崎某や倖田某にはない。
私にはそう言い切る自信はない。例えば「Pluto」と「史上最強のロボット」を読み比べたら、もう「Pluto」の方が圧倒的に面白い。「史上最強のロボット」は「PLUTO 1 豪華版」の付録に付いているのでご覧いただくとして、私個人は「史上最強のロボット」には歴史的価値以外の価値を見いだせなかった。今これを漫画雑誌に持ち込んでも門前払いを食らうのはほぼ確実だと思われる。
同じ手塚作品にしても、私個人は私が生まれる前に書かれた「鉄腕アトム」よりも、「ブラックジャック」や「アドルフに告ぐ」の方がずっと面白いと思う。そしてなぜそうなのかと考えると、手塚が死の間際まで、他の漫画家と同じ土俵で勝負していたからだという結論しか出て来ない。
手塚は、自分を例外扱いしなかった。その事がどれほど漫画のレベルを上げたかは計り知れない。
漫画だけではない。およそ著作物というのはこうして全体のレベルが上がっていく。浜崎某や倖田某は私はそれほど知らないが、今時の「アイドル」は私がガキだった頃のアイドルに比べたらずっと歌がうまいのは確かだと思う。
かつては専門家にしかできないことがたくさんあった。良い報道写真はプロのカメラマンにしか撮れなかったし、文章をある程度以上のメディアで発表できる人は限られていた。マイクとアンプを使って歌を歌うような機会を与えられる人もわずかだった。ビデオ映像を作って配信するには、とてつもないお金が必要だった。だからある程度以上普及する作品には希少性があり、それがそうした作品の価値を高めていた。
もしこの仮説が本当だとしたら、「タイアップの歌謡史」に出てくる1970年代のアイドルたちの歌はそろいもそろってあれほど下手なのだろうか。
逆に、なぜ今のアイドルたちはまともに歌えるのかならわかる。カラオケがあるからだ。かつて普通の人にとって、歌は聴くだけのものだった。しかし今ならいつでもカラオケボックスで歌える。「やってみる機会」がずっと増えたのだ。
「超級アイドルの肉感ぷにぷにボディに視線釘付け!」には、埋め草であることそのものに価値がある。埋め草があってはじめて大木が育つのであり、そしてどれが大木になるかは、それが大木になってからはじめてわかる以上、法で例外を設けるのは賛同しかねる。
その観点からすると、著作権法はもう保護期間というパラメターの調整だけではいかんともし難いところに来ていると思う。もう一度原点、すなわちなぜ著作物を法で保護することにしたかというところまで戻って著作権法をRefactorするべきなのではないだろうか。
Dan the Mortal
さらにちなみに連載中は「史上最大のロボット」だったようですが。