悲しいかな、私も同意見だ。
アンカテ(Uncategorizable Blog) - 働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよつまり、「生活保護でかなりの贅沢をして暮らせるけど、『働く』為には、ものすごい才能と努力が必要になる社会」である。
大多数が働かなくても生きて行ける社会は、やろうと思えば全世界規模でさほどの困難もなく実現できる。食料なら、すでに80億人分ある。15億人分も過剰だ。その配布システムはまだ全世界を覆い尽くすには至っていないけど、仕事にあぶれた土建屋たちを動員すれば、10年とかからず出来るだろう。65億人が生きていくために必要なものは食い物だけではないけれど、全員分の衣食住を整えるだけのヒトもモノもカネもすでに充分以上ある。
実のところ、「大多数」を「過半」に代えれば、先進国においてはほとんど実現している。「中小企業白書 2006年版」によれば、日本の就労人口は2003年の時点で6600万人。五割をわずかに上回っているに過ぎない。残りはまだ就学中だったり、すでに「寿退職」していたり、定年を過ぎていたりでこの中に入っていない。それでも日本は回っているし、日本を回すのに実はこんなに就労者が必要なわけではないということは皆うすうす知っている。
それが、問題なのだ。
65億人が生きていくために必要なものを揃えるのに、65億人も必要ないことそのものが問題なのだ。衣食住を揃えるためだけなら、おそらくその1/100で足りてしまうのではないか。かなり大めに見積もっても、1/10を超えることはないだろう。
百人の島の中で、たった一人、あるいはたった十人が働いている世界。これは天国なのだろうか?
それが天国だと思う人は、今一度「失踪日記」を読んで見るべきだ。「逃亡日記」も併せて読めばなおよいが、とりあえず「失踪日記」は必須だ。「選ばれた」一人と「残りの」十人のはざかいにあることが、人の心にどれだけの負担を強いるかが分かる作品としてこれほど優れたものはほとんどない。
その吾妻ひでおが愛してやまないSFは、「働かなくても生きて行ける社会」のサンプルの宝庫でもある。この社会を肯定的に描いたものとしては「404 Blog Not Found:断絶への航海」があるが、むしろ私が思う、いや怖れる(fear)近未来は,以下のような形である。
404 Blog Not Found:終わりなき肉欲との戦い「就職からの開放」というのは、今風の言い方をすれば「人類総ニート」ということでもある。この世界では最優秀のほんの一握りの若者が、徴兵され宇宙人との戦争に赴く。
そして残りは政府から捨て扶持を与えられ、人口爆発を防ぐために同性愛が奨励されている。どうやら同性愛を奨励されなくても人口は100億未満で落ち着きそうなので政府による同性愛の奨励はなさそうだが、「終わりなき戦い」の描く近未来には、絵空事と読み捨てるにはあまりに深く刺さるリアリティがある。
finalventの日記 - 朝日社説 「産む機械」 少子化対策が心配だ大衆が秘めている本当の力というのは言葉では語られないようにできている。
「働かなくても生きていける社会」とは、この大衆が秘めている力が、常に大衆が必要としている力より過剰な世界なことである。我々はこの力が不足していたがゆえ「ヒト」から「人間」になったのだが、今度はこの過剰な力を過不足なく発散させるというのが社会問題となる。パンよりサーカスの方が大事(だいじ|おおごと)になるのだ。
「それならば、最初から必要な力を必要なところに必要なだけ使えばいいじゃないか」と思われるかも知れない。ところが、過剰な「総力」を持つにも関わらず、どこにどんな力がどれだけ必要なのかを知るほど賢くないのである。それを知らぬ故我々は競争する。1人ですむところを10人がかりでやらせて、残り9人を「捨てて」いる。
アンカテ(Uncategorizable Blog) - 働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよとは言っても、これは実際には夢物語だろう。労働者がこれを受けいれるとは思えないからだ。「人は報酬を労働の対価として受け取るべきである」という倫理は、簡単に拭い去ることはできない。仕事が無くて贅沢できる社会より、ワーキングプアだらけの格差社会を、労働者が望み、その集団的な力はとても強い。資本家や企業がそれに対抗して、上記のシナリオを実現するだけの力を持つことは難しいかもしれない。
断言しよう。資本家や企業も「そういう社会」、すなわち「彼らだけが働き、残りは働かずに生きていける社会」を望んではいない。なぜなら、彼らも誰が働くべきで、誰が働かざるかを知らないからだ。彼らが知っているのは、「自分達は働く側、いや働かせる側にいたい」ということだけである。
働くにあたって何が必要か。それは「飢え」である。You gotta stay hungry and stay foolish to get a job. ということである。しかしお菓子の家の中で飢え続けているのは並大抵のことではない。もっともそれは生物にとっては手慣れた作業でもある。水に囲まれた中でペプチド結合という「水抜き」をしているのだから。
しかし、誰の「飢え」が「社会的に働く」のかを、我々は知らない。「市場だけが知っている」と経済学者は言うかも知れないが、それは「知りません」と同義である。だから資本家や企業としては、「飢え」そのものに人々を飢えさせて「共食い」させるしかない。「いや、俺たちなら知っている」とGooglersは言うかも知れないが。
我々は「働かなくても生きていける社会」で生きていけるほど慎ましくなれるのだろうか?残りの99人は「ごくつぶし」であることを従容するのだろうか?そして選ばれた1人は社会を食わせ続けることに飽きずにいられるのだろうか?
誰かに必要とされずとも生きていけるほど、人「間」は強く鈍くあれるものなのだろうか?
Dan the Insatiable

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