初掲載2007.02.11; 追記あり

本書のタイトルは間違っている。

本書の本当のタイトルは、「学者のウソとマコト」である。

献本に感謝すると同時に、このタイトルのまま本書を上梓してしまった関係者に猛省を促す。

本書「学者のウソ」のウソは、最近とみに増えた「ウソ」本とは一線を画している。これらの「ウソ」本はいずれもウソの鑑定、ウソの告発、そしてウソの批判に終止しているが、本書は違う。本書は「ウソまみれのこの世界に、どうやってマコトをもたらすか」を正面から本気で提案した本である。

目次
  • 序章
  • 第1章 学者のウソ
    1. 住基ネットワークのウソ
    2. ゆとり教育のウソ
    3. ダム論争のウソ
    4. 理系学者のウソ
    5. 文系学者の大ウソ
    6. ウソが生まれる背景
  • 第2章 本来の学問
    1. 自然科学の方法論
    2. 自然科学の困難
    3. 文系学問の困難
    4. ポストモダンの学問
  • 第3章 学歴エリート社会の罠
    1. マスコミエリートの倫理破綻
    2. エリートによる「弱者ごっこ」論法
    3. 利己主義の暴走
    4. 既得権益としての学問エリート
    5. 道具化する倫理
  • 第4章 ウソを見破る手立て
    1. 学歴エリートに騙されない方法
    2. 言論責任保証の試み
    3. 新たな技術が社会を変える
  • あとがき

確かに目次だけ見ると、類書と変わらないように見える。右の理系を両断し、左の文系を粉砕するといった趣きだが、本書が類書と最も異なるのは、以下の姿勢である。

p.9
われわれは、何かを信じなければ生きていけない。だから、疑うことを勧めるその次に、何を信じるか、あるいは信じられる社会を作るにはどうすればよいのかという点について理性的な指針を与えることが重要になる。そこを誤ると、既存の価値をすべて疑うように仕向け、その上で新たな教義を刷り込む新興宗教と同じ過ちを犯すことになる。

そうなのだ、「ウソ」本は、信じるものは騙される、騙されるものは愚かだ、愚かにならぬためにはこうしなさいという「疑う方法」は書いてあっても、「信じる方法」は書いてない。しかし、著者の掛谷英紀が言うように、われわれは、何かを信じなければ生きていけないのだ。懐疑至上主義では人間コスト割れなのだ。

率直に言って、本書は「読ませる」本ではない。学者らしく理路整然としてわかりやすい文章なのだが、華と毒に欠ける。このあたりは「世間のウソ」などと比較するとかわいそうなぐらいだ。

しかし著者の志の高さと、そしてそれを実現しようという心意気は、それを補ってあまりある。とはいえ、志だけならなんとでも騙せる。それでどれだけの善男善女たちが騙されてきたことか。掛谷英紀がすごいのは、その志を保証するための仕組みを作ってしまったことにある。

それが、本書の本当の主題である「言論責任保証」。そう。本書は文字通りの保証付きなのである。言論責任保証の仕組みに関しては是非本書を読んで各自ご確認いただきたいが、著者が言論責任保証協会を作り、その協会を通じて本書の言論の一部を保証しているのは本当である。

言論責任保証協会 - 06A0001
言責保証の対象にするのは、山田昌弘氏が著書『希望格差社会』(筑摩書房)で述べた20年後のフリーター博士の数の予測について、具体的数値をもって反論した部分である。

もちろん、この試みは、他にも数多く存在するはずの「信じることを保証する方法」の一つに過ぎず、言論責任保証協会という試みもかなり荒削りではある。見てのとおりWebサイトもはっきり言ってしょぼい。また本書の言論のうち保証となっているのはほんの一部であり、仮に著者が「負けた」としても、失うのは印税の20%、それも経費を控除した後である。大した割合ではない。そもそも印税10%というのは、今日の技術書の世界では滅多にないことで率直に言ってちょっぴりうらやましい。

しかし、この程度の思いつきすら、他はやっていなかったのである。

改めて驚くのは、著者の志の高さと反比例するかのような著者の立場の低さ。著者の掛谷英紀は筑波大学の講師。まことに失礼ながら、「たかが講師」がこれだけの重荷を背負っているのに、言いっぱなしでよしとするもっと偉い先生方はことごとく恥を知るべきだろう。

いや、まだ駆け出しで若かったからこそ出来たという意見もあるかも知れない。しかし、本書を「若さ故の過ち」にしてはならない。こういった志をそのように冷笑し蔑視し破棄してきたことこそ、今の浮世をウソだらけにしてきた一番の原因なのだから。保証なき品格も美しい国もクソくらえである。

もしこの人がドン・キホーテなら、私はサンチョ・パンサになってもいい。この本には、そう思わせるだけの力がある。

何か--特に学者--を信じたい、全ての人必携。もちろん、2024年に著者の間違いを嗤いたい人も。

Dan the Skeptic Believer

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