そしてその社会の平均的な生産性というのは、何が決めるのだろうか?
山形浩生 の「経済のトリセツ」 Supported by WindowsLiveJournal - 生産性の話の基礎賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ
どう考えても、「その社会の総消費量で決まる」という結論になると思う。
ちなみにここでは、貯蓄も消費に含めている。お金の行き先を決める行為は、すべて消費ということにしている。
なぜ生産するかといったら、消費するためだ。使いもしないのに作ってもしょうがない。たとえ本を20冊翻訳しても、誰も買ってくれなければ「生産」とは見なされない。読まれるでも「積読」されるのでもどちらでもいいけれど、とにかく買ってもらわなければ話にならない。一冊あたり50万円だった収入が、20冊翻訳してもそのまま50万円とは限らない理由がそこにある。
もっとわかりやすい例で言うと、米がそうだ。日本では減反政策といって、わざわざ米を作らないことに対してお金を払ったりしてきた。作ろうと思えばもっと作れるのに、作っても食べてくれないのでそうしている。仮に減反前と減反後で、政府の補助金まで加えた農家の収入が変わらなかったとしたら、この農家の生産性は米で測ると減っていることになるけど、金で測ると変化なし、ってことになる。
ここで、今の日本で「高給」の仕事を見てみる。これらの数字はちょっとぐぐれば沢山出てくるのだけど、ここではとりあえず「職業別給料ランキング」をリンクしておくにとどめておく。これを見ると、生産性がずっと高いはずの「実業」より、生産性から見ると大したことがないはずの「虚業」の方が高いように見える。なぜだろうか。
一つ考えられるのは、「虚業」は自身の生産性は低くとも、他者の「消費性」を高めているのではないかということ。たとえば社員1万人の製造業の会社が、一人当たり1,000万円の売上げを上げていたとする。売上げを伸ばすために、ここでは社員100人の広告代理店にCMを依頼し、そのCMのおかげで売上げが倍になったとする。ここで「CMによって上がった収益は、発注者と受注者で折半する」という取り決めがあったとする。増加した売上げは1,000億円。これを両者で折半して500億円。一人当たりの売上げでは製造業の方はこれで1,500万円。しかし広告代理店の方は5億円だ。
もちろん実際の話はこう単純とは行かないけど、生産者よりも「消費加速者」の方が儲かりそうだというのは、これでおぼろげに見えてくる。
賃金水準は、生産性で決まるんじゃない。社会の消費性で決まるんだ。
なぜそうなってしまったかといえば、「生産業」のほとんどが、「過剰生産性」を抱えるようになったからだ。米だってかつては足りなかった。足りなかったから八郎潟を埋め立てたりしてせっせと生産性を上げようとした。でも生産性が上がったら、今度は余ってしまった。こうなると補助金を出してでも「非生産」してもらうか、なんとかして余った分を売りつくすしかない。こうなると「作る人」より「余った分を売ってくれる人」の「生産性」の方が高くなったりする。
「作る人」にとって、これは決して愉快な話じゃない。でもすでに余った分を売ってもらわないと、「作る人」が満足する収益は上がらなくなってしまっている。かくして「虚業」と彼らを蔑みつつも、ますます「売ってくれる人」への依存が高まって行く。それが常態化すると、今まで蔑んでいた彼らが偉く見えるようになってくる。「やっぱり稼ぎがいい以上、彼らの生産性は高いんじゃないか」、と。
現在進行中なのは、つまりこういうことなのではないか。
にも関わらず、なぜか「生産性」という言葉は巷に溢れていても、「消費性」という言葉は見かけない。英語でも"productivity"という言葉は目にするけど、"consumability"という言葉はお目にかからない。でもそろそろ気がついてもいいのではないだろうか。生産性が上がれば上がるほど、生産性という言葉が持つ価値は下がり、消費性こそ重要となり、そして今や消費性の方が生産性よりはるかに決定的となっていることに。
Dan the Prosumer, Whatever that Means
このポストに関係して、長いコメントを書いたのですが、字数制限が800字で掲載できません。
以下のUTLから読んでください。
http://www.shiozawa.net/blogcomments/yamgata_ikeda_ronso90411.html
ついでながら、小飼弾さんの著書『小飼弾の「仕組み」進化論』、最近買いました。まだ読めていませんが、「仕組みの進化」はわたしが中央大学商学部で講義している「応用経済論(進化経済学)」で使わせてもらうつもりです。