いいえ、40人民元です。
池田信夫 blog 生産性をめぐる誤解と真の問題では、なぜ1杯のコーヒーが日本では400円なのに、中国では40円なのだろうか?
少なくとも、2000年の上海浦東空港ではそうでした。日本より高いのです。
そして不味い。中国で惨めな思いをしたければ、葡萄酒か珈琲を頼むに限るといえば言い過ぎでしょうか。ちなみにこの上海浦東空港の珈琲、私が注文したのではなく、同席していた中国の偉い人が注文してくださったものです。自腹を切るには私の心はあまりに貧しかったのです。過去形かどうかは読者の判断に任せます。
この一杯の珈琲の値段、大連の空港で27元。北京首都空港の近くのスタバで20元。20元というと、肯德基でおなかいっぱいになる予算でこれはハレの日の食事。私の昼食は5元でした。
中国ではなんでもかんでも日本の1/10の値段だと思うと、実に痛い目にあいます。衣食住といったものに関しては、いわゆる購買力平価という奴が結構あてになるのですが、なくても生きていけるものの値段は日本と変わらないのです。日本で買うより高いものだって少なくない。中国人にとってはメチャ高。
先進国であればあるほど、生活必需品は高いが「不要不急品」は安い。この経験則は、今のところ中国に限らず私が行ったどの国でも成り立っていました。そして「生活必需品」となった品数は、先進国であるほど多い。ネットは本来不要不急品ですが、OECD加盟国でそう見なす人は少数派でしょう。子供を旅行に連れて行く親にとっては、ニンテンドーDSもそうかも知れません。アレがないのとあるのとでは親の疲労度が全然違いますから。
ここで、
404 Blog Not Found:生産性より消費性賃金水準は、生産性で決まるんじゃない。社会の消費性で決まるんだ。
の「消費性」という言葉をもう一度取り上げます。「=需要」とした方は半分正解。今から私が言うのは、その残り半分。なぜ私は「需要(demand)」という言葉を使わず、あえて「消費性(consumability)」という言葉を使ったか。
この二つには、一つ決定的な違いが存在します。
需要は、元々そこにあったもの。供給されねば困るもの。英語で"demanding"といえば、「物欲が激しい」ことではありません。「品質に厳しい」ことです。これに関しては語りたいこともまだあるのですが、本entryは「学校では教えないグッドラッパー英語」ないので以上に留めておくことにします。Needsと言い直してもいいかも知れません。
それに対して、消費性は、社会の「発展」によって作り出されたもの。供給されなくても実はなんとかなるもの。中国において、珈琲の「需要」はありません。しかし「消費性」ならあって、あるが故に手に入り、しかし40元払う羽目になる。Wantsというわけです。
茶だって元々そうですが、すでにこちらは需要化して久しい。アヘン戦争も、イギリスにおける茶の消費性が「需要化」して起きたという見方もできるでしょう。
中国の茶に対して、イギリスは何をしたか。そうです。アヘンをぶつけてきました。アヘンのすごいところは、社会の「発展」を待たずいきなり「需要化」することです。こうなると中国してはたまったものではないのでそれを取り締まったところ、イギリスは今度は大砲の弾(「だん」じゃありませんよ:)をぶつけてきたわけです。かくしてイギリスと自由貿易は勝利を収めました。
中国人にアヘンを売りつけたイギリス人と、庶民に消費者ローンをぶつけるシステムとの本質的な違いというのは何なのでしょう?もし需要と消費性に差がないとしたら、私にはアヘンを売ったイギリス人とサラ金のCMを流すTV局の差がわかりません。
どなたか私のような経済学オンチにも教えていただきたいものです。あ、経済オンチではありませんよ。経済力なら人一倍あるようなので。もっとも経済学と戯れていると、経済力が落ちて、「遊んでないで仕事しろ」という声がどこからか聞こえてくるような気もするのですが....
Dan the Man Who Knows some Economy and No Economics
つまり弾氏のお話は池田説を補強しても山形説をサポートはしないと思います。
と、言っても蛙の面か…。