もっと早く読んでおくべきだった。
2007.02.22 初出 2014.04.06 邦訳文庫版上梓につき再掲
まだ読んでいない人は、原著でも邦訳でもいいので読んで欲しい。
本書「貧困の終焉」、"The End of Poverty"は、同じ"The End"でも The End of History and the Last Manとは対極にある。このEndは、「終わり」という自動詞ではなく、「終わらせる」という他動詞である。何を終わらせるか?貧困である。実に単純にして明解だ。
p.1This book is about ending poverty in our time.
日本語にすると、
死んでしまったら私のことなんか誰も話さない: ジェフリー・サックス「貧困の終焉」ジェフリー・サックス「貧困の終焉」は、「私たちが生きているあいだに世界の貧困をなくすことについて書かれた本である。」
ということだ。著者のSachsは、それが今可能であり、具体的にどうしたらそれが可能になるかを本書で呈示している。400ページ弱の本だが、その主張が単純にして明解で、すこぶる読みやすい。邦訳(本entry現在4,513位)だけではなく原著(4,585位)の売れ行きもよいのはそのためだろう。
本書では、その費用はOECD諸国がGNIの0.7%であり、充分可能な数字であると説いている。もちろんこれは必要条件の一つであって、一万円のうち70円を援助にあてればそれでおしまいというわけではないことは本書に詳しく書いてあるが、その費用が意外と小さいことは注目に値する。
本書がなぜ400ページ弱もあるもう一つの理由が、懐疑論にきちんと答えていること。「援助しても無駄に終わるのではないか」「自国の貧困も終わっていないのに、他国の貧困を終わらせる余裕はあるのか」「9.11のテロリストたちは裕福な家庭で育った。貧困の終焉はテロリズムの終焉にならないではないか」....こうした懐疑論にきちんと受け答えするのには、これだけのページが必要だったのだ。
しかし、本書のエッセンスは一ページどころか一段落に収まるほど簡単で、強い。貧困を終わらせる事はできるか?Yes.貧困を終わらせるのに必要な資金は捻出できるか?Yes.貧困は終わらせるべきか?Yes.
ただし、最後の主張、「貧困は終わらせるべきか」に関しては、もう少し解説して欲しかったようにも思う。「そんなの当たり前」というなかれ。「貧困は悪」というのは確かに多くの社会で通念となっているが、自明とまでは言い切れない。「貧困が人を強くする」という精神論や、「貧困は個人の能力の結果」という意見も根強い。
私は、「貧困は悪だから終焉させる」という道徳論より、「貧困を終焉させることで、持てるものの活路も広がる」という利益誘導の方が、貧困の終焉への近道だと思う。Sachsは特にアメリカ人に対して、テロリストと戦うよりも貧困と戦った方が安全保障上も有利だと説いて、一応の「利益誘導」はしている。確かに合州国の問題は最大の問題ではあるのだけど、国外の読者としては少々物足りない。
それでは、日本が貧困の終焉に対して投資額を大きくする理由はあるのか?充分すぎるほどある。こうした極貧国が成長過程に入れば、その投資効果は先進国に対するそれよりも大きいのだ。早い話、国内で公共投資するより、これらの国に公共投資してそこから利潤を得た方が効率がいいのだ。
日本が投資すべき金額は、0.7%とすると毎年3兆5000億円。これは小さからぬ金額であるが、年金の積立金は、厚生年金が138兆円、国民年金が97兆円もあるのだ。この運用のごく一部を回すだけで、日本の負担分は間に合ってしまう。
もっとも、日本に対する提案が不足しているのは、本書の欠点では全くない。それは日本人の仕事であってSachsの仕事ではないのだから。本書が重要なのは、その仕事を、今する価値があるということを説いた事にあるのだ。
p.368Let the future say of our generation that we sent forth mighty current of hope, and that we worked together to heal the world.
こういう直截的なメッセージは、本当は経済学者ではなく政治家から聞きたかった。
貧困を終焉させたい人も、そんなことは不可能だと思っている人も、貧困という言葉に対して何かしら感じるすべての人に。
Dan the Wishful Thinker
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