生まれてはじめて、金を出して村上春樹の本を買った。
今度は楽しめると思ったからだ。
極東ブログ: [書評]海辺のカフカ(村上春樹)ようやく読めたということに個人的な感慨がある。長いこと読めなかった。
finalventさんに背中を押されたというわけでもないけど、37歳の妻子持ちは、今度こそ村上春樹を楽しむことが出来た。
小説というのは楽譜のようなものである。いや、楽譜そのものである。それだけではただの紙の束であり、そこに書かれた音符も弾き方を知らなければただのインクのしみであり、そして弾けたとしてもそれを楽しめるとは限らない。そう。小説とは自分で演奏して楽しむものだ。これが漫画や映画との違いで、これらは人の演奏を楽しむものである。漫画に関しては自分で演奏を楽しむ余地も少しあるのでカラオケといったところだろうか。
村上春樹は、私にとってはかなり「演奏しやすい」作家だった。演奏してつっかえるところがない。それでいて退屈ではない。しかし私はその演奏を楽しむことが出来なかった。スムーズに弾けるのに心が動かなかったのだ。
理由は、二つある。
まず一つは、村上春樹の小説は、「これは虚構ですよ」というメッセージをあまりに多く盛り込んでいること。なんだかテレビで映画をやっている時に、臨時ニュースが最初から最後まで画面の上か下かに流れているような、あるいはスタントのシーンでわざと吊り線が見えるようにしているだとか、そんな感じ。それがいいという人もいるかも知れないけど、私にはウザかった。
極東ブログ: [書評]海辺のカフカ(村上春樹)もともとこの作品は「ハードボイルド・ワンダーランド」の後続的な位置づけの作品だからなのだろうからある程度読書のノリができれば、以前愛読者だった心が蘇る部分がある。
私が最初に読んだのも「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド (上・下)」。当時私は17か18でUCBにある図書館に寄贈されたそれを読んだのであった。その「弾きやすさ」に舌をまきつつも、「吊り線のきらめき」に辟易したのをよく覚えている。
本書「海辺のカフカ」もまた、多重的虚構の世界で、「物語内物語」が幾重にも登場する。しかし今度はそういったウザさはほとんど感じずに、「演奏」を心から楽しむことが出来た。確かに登場人物たちは、物語世界のルールにしっかりと拘束され、彼らはそれに淡々と従うという点に関しては他の村上作品と同様にも関わらず、この「拘束」が「緊縛」ではなく「抱擁」に感じられたのだ。
それは村上春樹の技量が上がったからなのだろうか?それとも「演奏者」たる私が「成長」、あるいは「老化」したからなのだろうか。冒頭に「37歳の妻子持ち」と書いたのはそのためだ。どんな作品だって読み手が変われば印象が変わるのは当然といえば当然なのだが、20年前の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と今の「海辺のカフカ」の読後感のこれほどの違いは何なのだろう。
私が村上春樹を楽しめなかったもう一つの理由は、女性の描写、特に女性の「わからなさ」の欠如だ。村上春樹が描く女性は、「わかりやすすぎる」のだ。ご都合主義といい切ってもいいかも知れない。そのご都合主義さかげんは、ご都合主義であることがはじめから暗黙の了解となっているポルノ並みである。この「わかりやすさ」が、彼女達の「つくりもの」感をいやがおうにも増してしまう。不気味の谷にずっぽりはまっているというか。
実はこの点に関しては、「海辺のカフカ」も他の村上作品と同様どころか強化されている。本書には、こんな台詞さえ登場するのだ。
あなたが必要とすれば、私はそこにいるんだって
それなのに、私はこのドご都合主義を今は快く感じてさえいる。「ほっとした」という感じだ。20年前の私だったら、ブチ切れていたかも知れない。エディプスの恋人で主人公火田七瀬が、神が用意したハッピーエンドを謝絶したように。
女性に関してはこうだが、男性に関する描写の自然さはもう手放しで素晴らしい。ナカタさんもホシノさんも、そして主人公カフカも、目の前にいても全く違和感がない。ジョニー・ウォーカーさえそうだ(あまりお近づきになりたくはないが)。村上春樹はむしろ女性に人気があるそうだが(ちなみに「(上・下)」は、妹が持っていたそれを読んだ)、その秘訣がここにあるかも知れない。
本書は、「世界で最もタフな15歳少年」の物語だ。しかし15歳でこれを楽しめるとはとても思えない(「演奏」なら出来るだろうが)。20歳ではムカつくし、30歳ならもっと他にやることがあるだろう。おそらく本書をきちんと楽しめるのは、不惑を超したあたりからではないのか。私は3年ほど早く読んでしまったが、なあに、それを言えば私はアノ時15歳ではなく12か11だった。3年ぐらいならどってことないだろう。
新しい世界の一部に--好む好まざるとにかかわらず--なる人に。
Dan the Yet Another Kafka on the Shore
>小説というのは楽譜のようなものである。
という一節に、非常に感銘を受けました。小説っていってみれば文字の羅列なんですけどそれが頭の中で組成/蘇生され、自分だけの劇場で演奏されるんですよね。個人の経験や知識で同じ文字の羅列が人によって違った風に解釈されるし、同人物でも時間を経ると感じ方が変化したり!