半分だけ同意。

赤の女王とお茶を - 危険な性淘汰スパイラル
このように、性的な「好みの傾向」は子孫に直接結びつき、かつ一方向性のため強化フィードバックも早く、あっという間に定着します。そして、それが「個体の生存」を脅かし、自然淘汰に抵触するようになるまでエスカレートするのです。恐ろしいことに、その頃には性淘汰に不利な個体はほとんど残っていない可能性もあるのです。

同意する半分は、性淘汰スパイラルの存在。同意できないもう半分は、それが遺伝的形質であるか否か。

少なくとも、ヒトに関して起きている性淘汰は、遺伝子(gene)ではなく意伝子(meme)に対しての方がはるかに強いのではないか。

理由は二つある。

一つは、ヒトの行動の決定要因における遺伝子の比較劣位。もしどれだけ子をなすかが遺伝的要因で決まっているのだとしたら、子だくさんの一家に生まれた子供も子だくさんになるはずだが、そうはなっていない。先進国を見ると、祖父母は8人兄弟、父母は4人兄弟、自分は2人兄弟という例ばかり。わずか三代でこうなるというのは、遺伝的要因以外にもっと強い因子がなければ説明できない。

こころ世代のテンノーゲーム - 「素晴らしい」性淘汰スパイラル
イケメンカップルとDQNと体育会系だけが生き残ればいいんじゃないですか?

ところが、その子孫がオタになる公算の方が大きかったりするのだ。

もう一つは、ヒトの過剰な性欲。生(み|ませ)たい、より、ヤ(リ|ラセ)たいの方がはるかに強いのだ。「この人とつきあいたい」「いっしょ寝たい」「この人と子供を作りたい」というのは、同じ人だとは限らないし、実際ヒトはそういう風に行動している。

ヒトにおいても、「モテ遺伝子」というのは確かにありはするのだろう。容姿端麗であることとか、健康であることとか。しかし今やこうしたことすら、意伝子の力で改変できる。茶髪がモテ形質だとしても、今や我々はそれを意伝子で持っている必要はないのだ。乳だの陽根だのといった文字通りのセックスシンボルすら、今や後付けできる。

だから、少なくともこれだけは安心して言える。

Our Cock is No Peacock.

人類がクジャク化することはありえない。何代もかけて羽根をはやす位なら、高須先生のお世話になる。それがヒトだ。

ここまでは、比較的常識的な話。ここからがヨタ話。

もしかして、ヒトの過剰な性欲というのは、意伝子優位のきっかけとならなかったのだろうか?ヒト、特にオスは一子より一発に飢えた生き物である。欲求は一子を得たときではなく一発を得たときに収まる。一子ではなく一発に対して個体を最適化しようとしたらどうする?

結論の前に、まず一発より一子の方が大事な場合。一子の最適化は、その子が大人、すなわちまた一子を得るまでは手が抜けない。浮気している暇があったら彼女の子育てを手伝った方が遺伝子はうれしかろう。鳥類の多くがつがいを作る理由がこれ。おしどり夫婦とは言うけれど、オシドリの夫婦は繁殖の時期だけであることがすでにわかっている。フクロウでは「甲斐性のある」オスが「重婚」している例も見つかっている。

しかし、一子より一発の方が大事だとしたらどうなるだろうか?

子育てよりも自分育ての方に注力するようになるのではないだろうか。生まれ持ったものだけでは、一子はおろか一発も得られないのであれば、一発を得るべく優秀な意伝子の獲得に勉めるのではないか。時には髪の色を買えたり、着ている服を買えたり、話し方をあれこれ工夫してみたり....こうした意伝子の淘汰は、世代ではなく個体内で起こる。

もちろん、一発は一子のため、というのが今までの生物学の主張でもある。もしそうなのだとしたら、意伝子コンテストは一子を得た時点でお役御免ということになる。ところがヒトは一子を得てからもせっせと意伝子に磨きをかけ続けるのである。こうなってくるとすでに「一発」という目的すらどこかに行ってしまう。にもかかわらずこうした一子はおろか一発をも忘れた人々というのは「超モテ」なのである。ニュートンだのキリストだのというのはその極北で、彼らは遺伝子を犠牲にして意伝子をバラマキまくった人々だと言える。

性淘汰スパイラルは危険ではあるが、今や恐るるに足りない。本当に怖いのは意伝子淘汰スパイラルなのである。それが過剰性欲という遺伝子に起因しているとしたら、遺伝子は意伝子という子をどう「思って」いるのだろうか....

Dan the Naturally Selected