なんとかYAPC::Asia::2007のスライドも上がった。ふぅ。ここにも何か書くか。
ITmedia News:「つまんない」「暇」を検索入力・会員100万人は簡単??携帯ネットの意外な“常識” (1/2)検索ワードには「暇」「つまんない」など“感情語”を入れる人が多いという。「携帯ネットユーザーは、暇つぶしのために携帯ネットを使うことが多いことが原因では」と佐藤社長は分析する。確かに、携帯向けSNS「モバゲータウン」の新着日記にも「暇」という文字が頻出。暇つぶしで利用するユーザーは多そうだ。
にMatzさん答えて曰く
Matzにっき(2007-03-31)あまりお近づきになりたくない気もする。
「お近づきになりたくない」気持ちはわからぬでもないけど、まだ近づいてもいないのにずいぶんと気が早いのではないか。それともケータイで「暇」を検索するとMatzにっきが引っかかるのだろうか。
長らくPCを中心としたコンピュータテクノロジは、くらいに分類されるユーザにリーチしていた。 しかし、ケータイの普及により、新しい層が登場してしまった。すなわち、
- すごく知ってる人
- ちょっと知ってる人
- 知らなくて困ってるから周りに尋ねる人
- 自分も知らないし、周りも知らない。 なんとなく分からないまま使ってるし、 分からないことは分からないままでも困らない
しかし上記の文章をs/コンピュータテクノロジ/世の中/gとしたら、「分からないまま使ってる」のは我々とて同様なのではないだろうか。いや、「コンピュータテクノロジ」一つ取っても、隅から隅まで。それどころか自分が書いたコードだって案外わからないまま使っているかも知れない。「象をなでる群盲」という点において、私自身どれほど「お近づきになりたくない人々」と違うのか心もとない。
しかし、彼らは本当に「知ろうともしない」のなのだろうか。
彼らは「知っていく」ことの痛快さに目覚めていないだけなのではないだろうか。
「暇」「つまらない」というで彼らが検索しているのは、彼らが「分からないことが分からないままでも困らない」からではないはず。本当に困っていない人なら、検索という行為そのものをしないはず。カウチポテトに比べたら、少なくとも何かを検索する分彼らはずっと積極的ではないか。
My Life Between Silicon Valley and Japan - 「好きを貫く」のはそんなに簡単なことではない。意識的で戦略的でなければ「好きを貫く」人生なんて送れないよ。僕の本やブログをずっと読んでくれている人には「言わずもがな」かもしれないけれど、あの短いエントリーを単体で読むだけだと誤解を招くだろう部分が「好きを貫く」ことの難しさ、厳しさだ。
彼らはそれ以前に、「貫けるほどの好き」を見つけていないのだ。
もっとも、「暇」で検索してそれが見つかる、というより人様のためにそれを見つけてあげるほど暇なギークがいないのも事実だが。
その意味では、「暇」で「ひまつぶし」が見つかる(かもしれない)ケータイの検索は一面において罪深いのかも知れない。彼らが本当に探しているものの代わりに、誰かが彼らに売りつけたいものを提供するのだから。もちろんそれを言ったら404を奪ってしまった私も同罪かもしれないのだけど。
検索の正しい実装は、見つかるべきものを見つけることだけではない。見つかるべきでないもの、まだ存在していないものに対して「みつかりません」と答えてはじめて正しくなる。
「みつかりません」、これこそが全ての出発点なのだから。
Dan the Man of 404
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