金持ちの末席にいるらしい私からも一言行っておくか。

ネット生命保険 立ち上げ日誌: 本当のおカネ・リテラシー
梅田さんのブログで紹介されていた、「お金のリテラシー」に関するエントリーを読んで、例えば自分の子どもたちに教えたい、本当のファイナンシャル・リテラシーとは何か、考えてみた。

ルール#1: お金については、管理や理解に労力を使うより、その労力で仕事をした方がよっぽど多く手に入る。だから、さぼらずにまずは仕事をしてみよう。

ファイナンシャル・アドバイザーの人たちには申し訳ないが、理論でも実践でもそうなのだから仕方がない。年収300万円の人がリテラシー向上で得られるのは、理論ですらたったの300万円。実際にはその1/10の行けば御の字。しかし仕事をちょっと頑張れば、300万を600万にするのはだれでも出来るし、1000万だってそんなに難しくない。

確かに、金持ちにとってはリテラシーの有無が重要になってくる。一億円で30万円しか作れないのと、300円作るのと、はたまた3000万円作るのとの違いを決めるのはリテラシーだ。しかし100万円を103万円にするのに一番効率的なのは、仕事をきっちりすること。

はっきり言おう。一定量のお金が手元に出来るまでは、お金リテラシーなどという言葉は忘れていた方がよっぽど金になると。その境は目分量で3000万から1億円。自分が必要充分と思える住まいが即金で買えるかどうか。

ルール#2 お金の作り方を知っている人はあなたを含めごまんといるが、お金の遣いかたを知っている人はほとんどいない。自分で理解しようとしない人は、信頼できるアドバイザーも見つけられない。

金は作るより遣う方が難しい。それを知識ではなく実感としてわかっている人でないと、リテラシーの必要性なんてわからない。なぜ日本に失われた十数年が訪れたかといえば、それを知識としてすら知らない連中が人の金を自分の金と勘違いして遣わないで費やしたからだ。

さらにくせ者なのが、アドバイザーとされる連中である。彼らはあなたがきちんと要求を指示しないとまともに動けない。税理士しかり、弁護士しかり。今や医師だってそうである。主人はあなたであり、彼らは使用人に過ぎない。そして使用人に過ぎない彼らが、あなたのお金をあなた以上に心配するわけがない。

アドバイザーをきちんと使うために必要なのはただ一つ。誰が主人なのかはっきりさせることである。それが出来ない人がアドバイザーを使うのは、盗人に追い銭よりも質が悪いと知るべし。

ルール#3: 金融市場が効率的であると主張しているのは、体制側の人間だけである。このゲームはフェアでないことを徹底して理解せよ

もし本当に金融市場が効率的であったら、なぜお金を発行するのは各国政府なのだろうか?その効率的な金融市場とやらに投入されている「非効率」な維持費がいくらなのか、市場参加者たちは考えたことがあるのだろうか?「水と安全はタダだと日本人は思っている」と言ったのはイザヤ・ベンダサンというニセユダヤ人だそうだが、市場はタダでも効率的でも実はない。しかし莫大な維持費を払っている以上、効率的というタテマエがなければ体制を支持する名分が立たない。

そう。このゲームはフェアではない。アンフェアなゲームだからこそ、そこで優位に立っているものはフェアだと主張するのだ。「お金リテラシー」で唯一金持ちでなくても覚えておかなければならないのがこれである。

アンフェアなだけでも充分痛いのに、それを知らぬというのは痛すぎる。

ルール#4: お金は幸せを約束しないが、幸せにはお金がかかる。自分にとって本当の幸せとは何かと考える人は、すでに充分金持ちなのである。

金とは何か?あなたが人から受け取り、そしてあなたが人に与えるものである。誰からも何も受け取らず、そして誰にも何も与えない状態は、「幸せ」というのではなく「死」というのではないか。

How rich you are is how much you give:ITpro
#0 Perlの父 Larry Wall|gihyo.jp
《(私は)金持ちです》。どれだけ持っているかではなく,どれだけ与えることができるかというのが金持ちの定義なら
Yes, I am rich. Not in terms of how much I have, but how much I can give.

人に与えるべきものもないのに、自分にとって本当の幸せとは何かなどと考えるのは、はっきり言って100年早い。まずは与えるべきものを手に入れようではないか。それがお金であろうとなかろうと。

ルール#5 世の中はあなたが理解できるほどシンプルではない。自分が理解できるものしか取り扱わない人に、金はやってきても幸せはやってこない。

世の中が本当にシンプルだったら、なぜ予測は成り立たないのだろうか。それでもシンプルというのであれば、明日の株価を予測してもらおうではないか。すでに我々は前世紀に、世の中をすべて理解することは数学的にも物理学的にも不可能であることを知っているのである。

だからこそ、この世は面白いのではないか。

理解しても理解しても、理解しきれぬものがそこにある。幸せとは、理解という結果ではない。理解していく過程なのだ。

理解できるものにだけしか手を出さない人は、理解できる範囲の世界しか手に入らない。そこにたまたまお金があれば、それを手に入れることも出来るが、それの何が面白いというのだろうか。

ルール#0 ○●リテラシーより○●そのもの

結局のところ、どんなリテラシーも、本物にはかなわない。はっきり言って、リテラシーというのは畳の上の水泳であり、エロゲーであり、授業である。本物の水泳や、セックスや、人生に比べればたかが知れている。

私はお金リテラシーを大して持ち合わせていないが、お金リテラシーを売りにしている人々で私よりお金を持っている人はどれほどいるのだろうか。逆に、私よりお金をいっぱいもっている人たちは少なくないが、彼ら私よりお金リテラシーを持っているにはとても思えない。

リテラシーというのは、結局その程度のものである。

Dan the Illiterate Millionaire