もう二年か。

出井氏がストリンガー氏にCEOの座を譲ってから。

本書「迷いと決断」は、SONY前CEO出井伸之による、CEOとしての十年間の迷いと決断の記録。これが面白くないわけがない。のだが、どこか苦いのはなぜだろう。

出井氏のCEOとしての業績は決して悪くない。95年にその職を受け継いだ時のSONYの売上高は4兆円。これが99年には7兆円。IT企業と比べても遜色のない成長を、兆円企業で成し遂げたことは誰にでも出来ることではない。Playstationで任天堂の鼻をあかし、VAIOでパソコン市場への復活を果たし、そしてWEGAで松下にTVで勝った。素直にすごい、と思う。

だからこそ思わずにはいられない。

なぜ出井氏はその業績とは裏腹に、歴代のSONYのトップと比較して「ぱっとしない」ように見えるのか、と。

実はその答えは、深く考えない方がすんなり出てくる。

表情、である。

このことは、盛田昭夫と比べるとよく分かる。Made in Japanの肖像を見てみよう。実に朗らかな顔ではないか。実はこれはどちらかというと抑えた笑顔で、TimesかNewsweekか忘れたが、 Cyndi Lauperと肩を組んで破顔していた時の表紙を今でも鮮明に思い出すことができる。

出井氏に足りなかったものが、これなのではないか。

本書を読めば、出井氏は大企業のCEOとして必要なものがすべて揃っていたことがよくわかる。過去を大切にしつつも現在に安住せず未来を目指す。もしCEOに顔が必要なかったら、彼は今でもCEOだったのではないか。少なくとも、SONYをホールディングカンパニーに変えるまではCEOで居続けたのではないか。

「何を非科学的な」と我ながら思うのだが、しかし「迷いと決断」に満ちた出井氏の表情は、本書の本文よりも多くのものを語っているように思えてならない。かなり日本人好みの渋い表情だと思うが、大企業を率いる者としては、これは少なからぬハンディキャップだったのではないか。

「創業者ではないから」というのは、実はあまり言い訳にならない。今度はJack Welchの表情を見て欲しい。内部からの叩き上げという点では、出井氏と共通したバックグラウンドの持ち主である。盛田氏の朗らかさとは違うが、悩んでいる顔ではない。肉食獣に通じる怖い笑みではあるが、それでも笑みである。少なくとも「ニュートロン・ジャック」というにはあまりにニュートラルでない顔である。

余談であるが、

p.187
ジャック・ウェルチ氏は、エンジンの作り方やプラスティックの作り方をおそらく知らないはずです

というのは間違いである公算大。なにしろ彼はプラスティック部門からの叩き上げで、化学の学位も持っている。もともとバリバリのエンジニアだったのだ。

経営者は迷うのが仕事だ。だからこそ外に対しては迷いを見せてはならない。出井氏はこのことを誰よりもよく知っていたはずだ。だから少なくともSONYを率いている間は、迷いと受け取られるような発言はしなかった。しかし表情にはどうしてもそれが表れてしまう。

なぜ出井氏が2005年に辞めたのか。その理由が、そこにあるように思えてならない。彼はSONYが何よりも朗らかさを必要としている時に、それを提供できなかったのだ。

そしてそう悟ったときCEOの座をすぐに譲ったのは、出井氏がいかにSONYのことを考えているかということの証しであるとも思う。我が身がかわいかったら、もう少し業績が回復したところで、もっと勇退に見えるように辞めたのではないか。

だからこそ、退職後わずか2年で、これほど率直な自伝が書けたのだと思う。彼は本書で後で挽回できた失敗だけではなく、挽回できなかった失敗をもきちんと書いている。SONYについて書かれた本は少なくなく、ベータをはじめとしてSONYが犯してきた失敗はそれらに必ず書かれている。しかし必ず、「その後にCDで巻き返した」など、大抵失敗をバネにした成功という形で書かれている。そうでないものまできちんと書いてあるところに、本書の真価がある。ここは逆に出井氏の苦さが功を奏したということだろうか。

それにしても、もし出井氏がアップルの買収に成功していたらどうなったのだろうか。ひょっとしてSONYの今のCEOはSteve Jobsだったのではないか。iTMSもSONYがホールディングカンパニーとなった上で、SONY Musicを切り離した上で満を持して行えたのではないか。出井氏がアップルを買収しようとしたのは有名な話だが、本書を読んでその歴史のifに思いをはせた。

本書を読了して、思わず口につぶやいてしまったのは、だから以下の一言。

「お疲れさまでした」

Dan the Smiling Man