やったことがある人は手をあげること。

レジデント初期研修用資料: 人生に必要なことはすべてゲームセンターが教えてくれた
日曜日の朝なら監視が薄くて、電源コンセントを抜き差ししたり、 誰かが電子ライターを持ち込んでみたり。

そして、電子ライターがゲームとどういう関係があるのかわからない人も。

分からない人のためにちょこっとだけ解説すると、この電子ライター、正確には電子ライターの着火用ピエゾ素子というのは、コインの代わりにかつてはなっていた。これのスパークをコインの投入口に当てると、コインが投入されたのものとマシンが勘違いしていた時代があったのだ。早い話が、cheat。

私にとって、ゲームとはプレイするためのものではなくいじるためのものであった。だから上記のcheatも知っていたがほとんどやっていない。アーケードゲームはROMに焼かれている。せいぜいこれくらいしかcheatのしようがない。パソコンのゲームとは、そこが違う。プレイヤーを不死にするのは初歩の初歩。マシン語で書かれたものはちょっと難しいが、それでもやり方を調べるのは簡単だった。ましてや、ASCIIやI/Oといった雑誌には、BASICなど人間がそのまま読める形でゲームのソースが乗っていたりした。私にとって面白かったのは、コインをごまかすことよりもゲームそのものをごまかすことだった。

しかしそれもしばらくしていると飽きてくる。そうしてゲームに飽きた私は、ゲームにはまっている連中を内心でバカにしていた。「ただの絵空事なのに。しかも自分でいじりもしないで、人の作った絵空事の中で一喜一憂しているなんて」、と。

そんな私も、SimCityにははまった。このゲームには「クリアー」という概念がない。自分がこうなったらいいな、と思う所をゾーニングする。しかし出来るのは基本的にゾーニングだけで、そこにどんな建物が建つかは環境で決まる。もちろんSimCityにもcheatは多く存在し、ResEditを使って建物とかをカスタマイズとかも出来たし、そういうことも一通りやってみたがそれでも私がはまった一番の理由は、「指示は出せても決定はできない」という点だったと思う。

そしてもう一つ学んだのは、面白いゲームというのはゲームバランス、すなわちルールが肝腎、ということだ。ゲームのパラメターをいろいろいじった人ならおわかりいただけると思うが、「プレイヤー必勝」のパラメターは簡単にできても、そう設定したゲームは実につまらない。「必敗」はもっと簡単でもっとつまらない。ゲーム世界をいじってしまう気をおこさせる前に、ゲーム世界に没頭してしまうようななゲームバランスを構築するのは実に難しい。

私がまわりまわってプログラマーになったのは、このことが少なからず影響していると思う。ゲームはプレイするよりメイクした方が楽しく、そして一番楽しいのは自分がメイクしたゲームを人が楽しんでプレイしていること。私はゲームプログラマーではないが、プログラマーという職を楽しんでいる人は、多かれ少なかれこういう精神構造をしていると思う。

そしてオープンソースというムーヴメント。今や人様が遊んでくれるようなゲームをゼロから作るのは難しいが、ゲームからゲームを作ったり、ゲームの部品を作ったりするのはそこまで難しくないし、にもかかわらず楽しい。プログラマーはゲームにとって神だが、今やゲームは一人の神が世界を作るのではなく、八百万の神々がそれぞれの世界観を反映させる場になっている。そしてそれはどの神々が思い描く世界とも違うが、しかしどの神々もそれぞれのやり方で楽しめる世界になっている。

こうした世界は、プレイヤーに徹しても悪くない世界ではあるけれども、折角神になれる力を我々は授かったのだから、たまには神を演じてみるのも悪くないのではないか。

とはいえ、「神モード」はかなり疲れるのも確か。普段はプレイヤーに徹しているのもそのためだ。しかし必要な時に、必要なだけ神になり、しかし神にも予想がつかないような形に世界が変わって変わっていくのを見るのは、神の目から見ても人の目から見てもなんとも痛快ではないか。

Dan the (Code|Play)er