これを見て「またか」と思うのは、感覚が麻痺しているのだろうか....
CNN.co.jp : 米バージニア工科大で銃乱射、33人死亡 米史上最悪 ? - USA米バージニア州ブラックスバーグ──当地にあるバージニア工科大学の構内で16日、男が銃を乱射し、実行犯を含めて少なくとも33人が死亡した。大学当局者が明らかにした。米国史上最悪の銃撃事件とみられている。
さすがにこれだけの規模になると全国ニュースになるが、死者数名という程度であれば毎年のように合州国のどこかで起きている。実際私も体験したことがある。厳密にはキャンパスではなく、キャンパスから数ブロック離れたホテルで起きた事件なのだが、Berkeleyは街全体がキャンパスの延長のようなものなので大した差はないだろう。
そしてまた、銃規制に対する賛否両論が飛び交うのだろう。
規制反対はの意見はこうだ。
Guns don't kill. People do.
悪いのは人であり銃ではない、というわけである。確かに一理も二理もある。我々は大量殺人の凶器となりうる道具に囲まれて暮らしている。宅間守は刃物だけで8人殺したし、過失まで含めれば車が殺した人の数の前では、銃が殺した人の数も霞む。メディアに至ってはもっと危険だろう。ラジオがなければルワンダはあそこまでひどい事になっただろうか。その意味では、blogだって凶器となりうる。少なくとも狂気をばらまくことは出来る。
しかし、「凶器予備軍」に関しては、その効用と凶度に応じた規制をかけている。車を運転するには免許がいる。マスメディアも免許が必要とされている。免許とは限らないけど、アブナイ道具を扱うにはそれなりの責任能力の担保が必要だというのが、定量的にはとにかく定性的にはどの社会においてもコンセンサスとなっている。合州国もその例外ではない。車に免許が必要なのはかの国も同じである。
ところがこと銃になると、かの国においては冷静な議論になかなかならないのはなぜだろう。銃の効用の低さは明らかである。銃は車と違って兵器としての用途しかない。それだけでも効用は格段に落ちるのだが、肝腎の護身装置として見た場合も問題は多い。護身装置として求められるのは、悪人を退治することだけではなく、善人を退治しないことであるが、銃は善人も悪人も全く差別しない。実は正当な所有者しか引き金を引けないような銃というのは制作可能だし試作品もいくつかあるようなのだが、認証装置の導入を義務づけろ、という声は大きくない。
もう一つ、どんなに規制しても、確固たる意志を持った凶悪犯の前には無力だ、という意見もある。乱射事件が起きるのは合州国だけではない。日本にすら、津山事件があるのだ。犠牲者の数においては今回の事件と遜色はない。
これまた一理ある意見ではある。この手の事件が起こる確率を0にすることは不可能に近いと私も思う。しかしそれが世紀の大事件となるのか、毎年恒例となるのかにはかなりの差がある。「刀狩り」が不可能にしても、せめて車程度には監理してもしかるべきではないか。銃というものに関するかの国の思考停止ぶりは、民主主義の観点からも資本主義の観点からも不可解だ。
Guns don't die. People do.
Dan the Mortal
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