1人で50人分の働きなんて、ソフトウェアの世界じゃ実は当たり前。

インド人がやった方が儲かることは、インド人にやらせればいいじゃん。 | bewaad institute@kasumigaseki
わかりやすい目安を挙げるなら、日本の一人当たりGDPは、インドの50倍を超えます。もちろんインドで情報サービス産業に携わる者は、平均よりは高い賃金を稼いではいるでしょうけれども、乱暴に言えば日本人ひとりでインド人50人以上の働きができるようにならなければ、絶対優位にすら立てません。現に比較優位にある産業においては、それ以上の差をつけているわけですから、実際に日本でそれを比較優位にしようとするならば、さらに上を目指す必要があります。おそらくは、自動プログラミングソフトでも開発しないことには、達成できないとwebmasterは考えます。

FizzBuzz問題ではないが、ある設問を解くのにかかる時間の差が1000倍単位で出るなんていうのはざら。あまりにすごいのでソフトウェアの生産性は対数スケールで測るべきだと私は思っている。「ふつうの人」の1000倍能力があって、やっと駆け出しプログラマー。名前が少しは知られるぐらいになるにはさらにその1000倍。

ただし、勘違いしてほしくないのは、この「生産性」というのは設問ごとに異なるということ。私はFizzBuzzぐらいならタイプする速度と同じ速度で書けるが、ゲームを作れと言われた途端「ふつうの人」なみになるだろう。あるいは、同じ設問でも、PerlではなくRubyやPythonでやれと言われた途端に1/10ぐらいになるし、CやJavaでやれと言われたらそのさらに1/10ぐらいになる。

そう。実はどんな道具でやるかというのも、設問のうちに入る。自分のお気に入りの問題を、自分のお気に入りのやり方で解くとき、生産性はMaxになる。人から与えられた設問を、人から与えられたやり方で解く場合は、その100倍から100万倍生産性が落ちると言い切っていい。

だから、ソフトウェアの生産性を決める一番の要素は、問題を選ぶ自由度と解き方を選ぶ自由度。だから、「ほにゃらら産業」といった時点で実は負け、その時点で産業という「解き方」を指定しちゃうんだから。何が間違っているといったら、主語が間違っている。「日本人かインド人か」ではないのだ。この主語は実は個人名でしかありえない。

雑種路線でいこう - 情報サービス産業に明日がなくても構わない
既存の商流やビジネスドメインを効率化するとかではなくて,がらっと変えてしまうようなイノベーションは,これまでのようなユーザー企業とITベンダとで要件定義や仕様書で線を引いた受発注関係ではなく,創り手が自発的に創造性を発揮し,その質に応じて報われるビジネス構造から生まれる可能性が高いのではないか.そういった実社会と深く結びついた革新のために,エンジニアが知恵を絞ることができるような事業構造はどうすれば可能なのだろうか.

これは実のところそんなに難しくない。「産業」を捨ててて、「生活環境」に注力するのだ。どういうことかというと、「ふつうの人」100万倍の人たちに「ここに住み続けていたい」と思わせるようにするということだ。

実はこの点で、日本はけっこういい位置にいる。10代の女の子が平気で夜遊びできるほど安全な環境。引き蘢りにやさしい家庭。どんなオタクが一生かけても観きれないほどのマンガとアニメ....遊びネタが湯水のごとくあって、そして遊んでいることを咎められない環境というのは、プログラミングという狭義のソフトウェアのみならず、コンテンツという広義のソフトウェアまでふくめたソフトウェアにとって理想の土壌なのだ。

404 Blog Not Found:書評 - 仏教は心の科学
でも本当は天界では、そういうことをしないと死んでしまうのです。彼らは楽しんでいるわけではなくて、必死で生きているのです。遊ばなくては死ぬのです。音楽の波動で生きている神々は、ちゃんと定期的に、決まった時間にその音楽の波動を食べないと死んでしまうのです。我々は楽しくなるために演奏を聞いたりしますが、天海の場合は、生死の問題です。死ぬか生きるかの大問題なのです。それでも皆さんは天界に生きたいですか?

ソフトウェアを生み出す土壌というのは、まさにこの天界のことで、そして日本は「天国に一番近い島」なのだ。日本が比較劣位にあると思っている人は、ニコニコ動画の「才能の無駄遣い」タグを見てみるといい。そこにアップされている作品に関しては、彼らの生産性とそれに関して「ふつうの人」である私の間には、100万倍の生産性、または「超えられない壁」が横たわっている。私はニコニコ動画というサイトの作り方は知っているけど、ニコニコ動画のコンテンツは作れない。

「でも、あれのほとんどはオリジナルではなくマッシュアップ」という人もいるだろう。確かにそこで使われている「材料」のほとんどは「オリジナル」ではない。しかし本当の「オリジナル」なんて、それこそ宇宙にしか作れない。蠅一つ作れない、あるいは素粒子一つ作れない我々にできることは、実はマッシュアップしかないのだ。だからどれだけの材料をどれだけ気軽に使って、使われたほうもそれにたいしてどれだけ鷹揚に構えていられるかということが、そこにおける生産性を決めるのだ。

とはいえ、「生産性」という言葉を語るときには、「何を生産しているのか」が問題になる。上で述べた生産性は、「ある人が投じた労力が、その人まで含めた人々にどれだけ面白い経験を与えたか」という点では非常に生産性が高くても、「ある人が投じた労力が、その人にどれだけの金をもたらしたか」という点においては心もとない。ひろゆきが「ウェブ動画がビジネスになる日は遠い」という理由もそこにある。

しかし、金だけを見ているとこれからの生産性論議、少なくともソフトウェアの生産性論議は見誤る。例えて言えば、植物は光と炭酸ガスと水とその他もろもろを得て、酸素とでんぷんとその他もろもろを生み出すのに、炭酸ガスと酸素だけを問題にしているようなものだ。これらは生産における必要条件であっても充分条件ではないのだ。

手元にあるのが炭酸ガスだけで、欲しているのが酸素だけの人々は、インドや中国という苗をよしとするのだろう。しかし皮肉な事に、ガスの取引が増えれば増えるほど、他のものが欲しくなってたまらなくなるのだ。そしてインドや中国が「他のもの」まで含めた「豊穣な土壌」を得るにはまだかなりの時間がかかるだろう。余談だがこの点に関しては、「世界最大の民主主義国家」であるインドの方が今のところ分があるように見える。実のところ、まだ我々は「どんな栄養が必須か」を知らない以上、「とりあえずなんでもぶちこんでみます」の方が土壌が豊かになるのだ。

そしてその土壌の構成要素の中には、今ではブログも含まれる。そしてそれに関して日本が世界一なのはみなさんご存じのとおり。

日本にいるということは、それだけで世界最高の土に恵まれているということを、天国に一番近い島の人々はもっと知っていていいのではないか。

Dan the Coder