本書を読む、あるいは読み返すには、格好の機会かも知れない。
切込隊長BLOG(ブログ): たけくまさん、こっちを騒ごうよ(笑)まだありもしねえ危機を喧伝するより、地裁で変な判決が出たほうがよほど影響が大きいと思うんですけどねえ。 http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070526_music_storage_illegal/
本書「「法令遵守」が日本を滅ぼす」は、その法令遵守の走狗であることが期待されている検事でもあった著者が、日本においては法を守ることが必ずしも社会を守るどころに結びつかず、それどころか社会を損ねる結果につながっていることを指摘し、その理由を解説し、それに対して我々がどうしたらよいかを提案した本である。
目次 - http://www.shinchosha.co.jp/book/610197/より抜粋ムリ、ムダ、ムラを排した簡潔な構成は、新潮新書の面目躍如。本をじっくり読む時間も習慣もない人にも、というよりそういう人にこそむしろ薦めたい。
200ページ弱の本書を瞬読した瞬間に出た感想は、「なぜ法律もこういう風に簡潔に書けないのか」という、我ながらプログラマーらしいと思う一言。なぜ法令遵守が駄目なのか?法令そのものが駄目だからだ。どんなに優れたユーザーでも、いや優れたユーザーであればこそ、駄目プログラムは避ける。そしてOSが駄目ならOSを回避して直接ハードウェアを操作するようなプログラムを作る。MS-DOSの時代がそうであったように。
そう。日本が曲がりなりにも滅びずに来たのは、プログラムがよかったからではない。ユーザーがよかったからだ。ところが、今やプログラムを使わずに問題を解決するユーザーは悪人ということになってしまった。駄目なプログラムを使って駄目な仕事をしていも、それを使っている限り悪人にはならない。本書の主張をプログラマーが一段落でまとめるとそういうことになる。
いちいちうなずく点の多い本書だが、終章の主張だけは異議を申し立てたい。それは著者「ではどうすればよいか」の主張の主眼が、「眼」にあることだ。参考文献に「眼の誕生」を上げるほどこの「眼」というのは重要なポイントで、その主張そのものには反対しないのだが、しかし眼は二番目に重要な点であって、最も重要な点ではない。
最も重要な点、それは「眼」ではない。「手」である。眼にかんしていえば、ヒトは生物トップではない。「脳」に関しても、ヒトより巨大で複雑なそれを持つ動物は複数ある。しかしヒトを凌駕する手をもつものは、この惑星には存在しない。ヒトは眼でも脳でもなく手で世界を制覇したのだ。
日本の法律を振り返ると、手の役割である「使う」ということをあまり考慮していない。少なくとも、市民の手になじむ道具ではない。誰が使って来たかというと「官」であることは言うまでもないだろう。法令遵守は、法の「高速開発」があってはじめて「使える」手法なのに、法を手に馴染むものにしていくという工程が、日本ではないがしろにされている。
美しい国なんぞいらない。使える国があればいい。国を使って国民が勝手に国を美しくしてくれるはずだ。そして、国を使うということは、法を使うということなのだ。
法曹の中に著者のような存在もいることに「法曹も捨てたもんじゃない」と思いつつも、著者のような優れた眼を持つ人々が、手に馴染む法を作る方に行かないことこそが、日本を滅ぼしているのではないだろうか。
Dan the Coder
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