しかしバザールを可能にしたのは何なのか?

ユメのチカラ: オープンソースの破壊力
Richard Stallmanの功績は、GPLというライセンスを発明した事にあるが、80年代から90年代中頃まで、Richardとごく一部の周辺の人達くらいしかGNUの開発に参加していなかった。実際、Richardはインターネットの向う側のプログラマを信用していなかったので、パッチや改良を貰うときにFSFに著作権を譲渡するような書類にサインさせていた。彼の人柄かもしれないが、当時バザールは発生したとは言えないと思う。

gcc、ではないのか?

LAMPの各文字には、それぞれ代替がある。Linuxの代わりに*BSD、Apacheの代わりにlighttpd、MySQLの代わりにPostgreSQL、そして最後のPにはPerlのみならずPython, PHP, Ruby....

しかし、gccの代わりは、未だにない。それどころかgccへの依存はこれまでになく高い。なにしろMac OS Xのような伽藍まで、今ではその上に立っているのだ。

もちろんiccなど商用の代替物は存在する。が、ライセンスまで含めて、gccに取って代わるものは、未だ存在しないし、挑戦者が表れる気配さえない。

アンカテ(Uncategorizable Blog) - 毎日正気のことばかり書き続けるという狂気
「コードの自由」に偏執的に執着し、そのためにはプログラマーの自由なんかおかまいなしに強制的に書類にサインさせるRichardの狂気も、Linusの前ではなんだかまともに見えてしまいます。

いや、その狂気を受け止めてびくともしなかったgccこそすごくはないか。

LAMPというのはgccという釈迦の手のひらの上の孫悟空なのだ。少なくとも今のところは。

GNUという道がそこにあったからこそ、バザールを開くことが出来たのだ。そして今では、その道はバザールだけではなく伽藍を立てるためにも使われている。

バザールの前に道があった。FSFが敷いてくれた、道があった。

バザールで店を出す者の全てでなくとも、主だった店主達は、この事を忘れるべきではないだろう。

Dan the Shameless, but Conscious, Free Rider