π歴史、というより、π歴史かπ歴史というタイトルの方がふさわしそうな本。

本書「πの歴史」は、πそのものを学ぶ、というより、πを通して著者Petr Beckmannの史観につきあうという本。その独特の史観は読者によっては毒が強すぎると感じるかも知れない。例えば以下の下りを見て、本書が数学史の本であることがわかる人がいるだろうか。

p. 093
ローマは、組織された強盗集団の最初の国でも最後の国でもない.しかし,後の時代の世界中のほとんどの人々をだまして,賞賛するようしむけた点では、唯一の国でもある.理性ある人間であるなら,フン族やナチスやソヴィエトをほめたたえることはないだろう、ところが,何世紀にもわたって,学校の生徒たちは,ユリウス・カエサルという軍国主義者の書いた("ワレラハ敵ニ死者ニヨル重大ナ損害ヲ与エルモ,ワレワレノ負傷者ハキワメテワズカナリ"といったふうな)くだらないものや,カトーの人を戦争へかりたてる檄文を読まされてきた.生徒たちはローマ人が科学,芸術,法律,建築,工学その他もろもろの分野で高い水準に達していたと信じるようにしむけられてきた.

ローマ人の物語」批判と言われれば、素直に納得してしまうのでないか。

ところが、これはある一人の偉大な数学者を紹介するにあたっての導入部に過ぎないのである。それが誰か当てたら、あなたは相当の数学ファンだろう。

本書は、数学/科学啓蒙書にノンポリであることを期待する人には全く向かない。しかし、実のところ、数学といえども人々の所業(Gestae)の積み重ねであることに変わりはない。現在「数学者」とか「科学者」と呼ばれる人々の多くは、「学者」という言葉が存在することすら知らなかった時代の人々なのだ。そう考えれば、こうした独特かつ強烈な史観の持ち主のもとに数学史が編まれることこそむしろ自然なのではないか。

そう書くと、著者はπを肴に帝国主義者たちをDISっているだけかと思われるかも知れない。半分以上は事実なのだが、残り半分、すなわちπとそれに関連する数学も実にきちんと扱っている。例えばζ(2)がπ2/6であることのオイラーによる証明を、著者ははしょらずに(しかし実にさらりと手短かに)載せている。多くの数学啓蒙書が証明をはしょって「不思議な事実ですね」とやっているのと比べて、なんと真摯な姿勢だろうか。いや、真摯というより不器用か。著者にはお茶を濁すという言葉の意味が理解できないというより理解を拒絶するのではないだろうか。

執筆時点で可能な限り最新の知見を盛り込もうとしている点もすばらしい。本書にはビュフォンの針を実行するBASICのソースまで乗っている。1971年刊行、1973年改稿ということを考慮に入れれば、実に驚くべきことである。本書は330ページと、この手の本としては決して厚くはないが、その内容の濃さはブルーバックス3-5冊に相当するだろう。千円というのは文庫として高いように思われるかも知れないが、とんでもないバーゲンプライスだ。

ただし、この手の本としては、ちょっと誤植が多いようにも感じた。例えばIBMがIMBとなっていたり、LawがLowとなっている箇所がいくつかある。私の手元にあるのは文庫版第二刷であるが、機会があれば是非直していただきたい。おそらく機会はあるだろう。Errataを扱うWikiがあれば理想的なのだが。

とはいえ、πの歴史は本書の後も続いている。本書の計算記録は1967年の50万桁で止まっているが、21世紀の今ではすでに一兆桁を超えているのはみなさんもご存じの通り。しかも、単に桁数が増えたというだけではなく、アルゴリズムも変わっている。最新のπ事情を知りたい方には残念ながら本書は古すぎる。そちらに関してはπの帝王、金田康正による「asin:4489003382πのはなし」の方が役立つだろう。

しかし、文と理の接点において、πほど多くの人々の想像力をかき立てた数(すう)は存在しないだろう。誰でも知っているのに、誰も--宇宙サイズの電脳さえ!--知り切ることは出来ない。その沿革を追うのに、本書ほど適した一冊は見た事がない。しかし、本書には人類の愚行も割り引かずに書き付けられている。ちょっと小学生に薦めるのは気が引ける。中学生でもまだ本書を受け止めるには早いかも知れない。18禁の数学書がありうるとしたら、まさに本書かも知れない。

Dan the Transcendental