「平成男子図鑑」と一緒に献本頂いたのが、こちら。
本書「もう、国には頼らない。」 経営力が世界を変える!」は、ワタミの創設者にして社長の渡邉美樹が、公というものを経営者として定義し、その定義に沿って彼が彼の配下にある「公」をどう経営してきたのか、そしてこれからどう経営していく所存なのかを述べた本。
目次- 第1章 経営力が社会を変える!
- 自由競争のない社会こそ、実は格差社会ではないですか?
- 市民の味方、教育委員会は、なぜ教師の保護団体となったのか?
- 公的サービスの従事者こそ、お客さまを畏れ、敬え
- 私の考える「市場主義」と「競争」とは
- 理念の共有者としての株主
- 官≠公の時代、なのです
- すべての仕事に理念を持て
- 「官」支配の行き着く果て
- 学校の生徒は「お客さま」なのか?
- バウチャー制度に託すもの
- カンボジアの子どもたちが教えてくれたこと、そしてワタミが支援するNPO事業
- 第2章 経営力が、学校を、病院を、福祉・介護を、農業を、地球環境を変える!
- ケーススタディ1 経営力が学校を変える
- 学校法人 郁文館夢学園
- ケーススタディ2 経営力が病院を変える
- 医療法人盈進会 岸和田盈進会病院
- ケーススタディ3 経営力が老人ホームを変える
- ワタミの介護株式会社
- ケーススタディ4 経営力が農業・地球環境を変える
- 株式会社ワタミファーム
- ワタミエコロジー株式会社
それでは、渡邉美樹の考える公とはなにか?
あなたのお金は、直接民主主義の一票です (ワタミ社長渡邊美樹の「もう、国には頼らない。」):NBonline(日経ビジネス オンライン)学校教育は誰のためにあるのでしょうか。教師? 文部科学省? いいえ。そこで学び育つ、子どもたちのためにあるのです。病院は誰のためにあるのでしょうか? 医者? 厚生労働省? いいえ。そこで治療を受ける患者さんのためにあるのです。老人ホームは? お年寄のため。農業は? 食事をとるあらゆる人たちのため。
そう、話は単純にして明快なのです。サービスの本質に官民の違いなどありません。お客さまがどうすれば幸せになるのか。それだけを考えて仕事に邁進すればいい。
そう。彼にとって「他者のための仕事」は、すべて公なのだ。「私企業」とは言うけれど、彼の定義から行けばこれは立派な「公」であり、これを経営するのは公のためということになる。官≠公の真意がそこにある。
そして、官の問題は官そのものではなく、経営の不在にあると喝破する。なぜ官が腐敗するのかといえば、経営がないからだというわけである。本書では指摘していないが、この経営の不在というのは、マスメディアから農協に至るまで、「腐敗産業」に面白いように共通して存在する問題である。
なぜ「民」の方が効率よく仕事できるかといえば、民は経営を強制されているからだ、とも言える。それが、「あなたのお金は、直接民主主義の一票」の真意だ。民は毎日選挙され、即日開票され、落選したら即座に退場させられる。せいぜい数年に一回の議員や、そもそも選挙されることのない「官」とは、そこが違う。当選したかったら、経営するしかないのだ。
もちろん、「民」は常に正しいかといえば、残念ながらそうはならない。一番の問題は、誰も経営したがらないものは放置されがちということだろう。ひどい場合には、不採算部門を他者に押し付けて、「うちの経営効率は世界でも指折りです」とのたまうものもいる。「おいしいところだけ持って行こうとする」のは、誰にも備わった特徴だが、民においてそれは最もどぎつい形で顕在化したりもする。
だから
p.52「官」の仕事は、たった2つでいいのです。自由競争のためのルールを決めて、違反した者を厳しく罰すること。そして、セーフティーガードをきっちり組み込むことです。
の二つは、不可分の関係にある。後者だけでは「官」は不採算部門の捨て場になってしまう。「これは利益にとってマイナスだけど、その商売をやる上でこれを外してはならない」というルールをきっちり決めて、はじめて経営に「公」を組み込めるのだ。「たった二つ」とは言うけれど、これはかなり大変なことだ。この二つを突き詰めた結果、「官」が翻って大きくなることもありえるし、北欧諸国は実際そうなっている。
渡邊美樹は、このあたりのことを、頭ではなく体で知っている人である。第一章の理念だけを見て、彼の後ろ指を指すのはあまりにたやすい。しかしその中で、第二章で彼がやっていることをやってのけられるだけの人がどれほどいるだろうか。
p.252日々の市場での戦いの中で環境対策を最優先すると、負けてしまうおそれは常にあります。この点、企業経営というのは大きな矛盾を抱えていますし、この矛盾を解決するのは難しいと感じています。
それでも何とかしたい。
しなければならない。
私は経営というのは、「できないことを、できるようにすること」だと信じています。それは、外食でも、学校教育でも、医療でも、福祉・介護でも、農業でも、そして環境対策でも、何ら変わらぬ事なのです。
その意味において、実は経営というのは誰にも必要で、そして誰にも役立つことなのである。そこに官も民も存在しない。本書は、経営指南書でも経営仕様書でもない。しかし最も素朴かつ重要な、「経営ってなんだろう」「なぜ経営が必要なのだろう」という質問には十二分に答えてくれる「経営しよう書」なのだ。
彼が折口に出来なかったことを、どのようにできるようにするのか、今から楽しみである。
Dan the Public Figure
どうも気持ち悪いんだよなあ。なんでだろう。ううっ気持ち悪い。
自分に酔うタイプは皆そうです。悪いわけではないです(自分を信じられない者が他人を率いることは難しい)が、宗教の教祖様に多いです。
>せいぜい数年に一回の議員や、そもそも選挙されることのない「官」とは、そこが違う。
センセイはそのために財政を真っ赤っかにしたんですよね。国民によって選ばれたのでその票は官といえども無視できない(御説明)。官と政は鉄のトライアングルの2点ですから。
結局どれも欠点ばかりでどれが一番損失が少ないかを判断するしかない。但し「国民の判断」は簡単に操作できる。(強調文)
それから自由は生まれたときの持ち物によって収支が違いますね。閨閥とはいいませんが結局自由とは努力にどれだけ梃子の原理が効き易いかがポイントです。