この「才能」というやっかいな言葉に関して。

たけくまメモ : フジでオマイラキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 
一番の問題は、明確に「やりたいこと」がわからないか、「やりたいこと」があっても才能がないとか、あるいは、才能がないことを認めたくないというあたりではないでしょうか。

例えば、現在のGEにトーマス・エジソンが来て職を得られるか。現在のGEには直流と交流をきちんとわかっていない人にポジションはない。

あるいは、小林よしのり。2007年現在に、「東大一直線」を持ち込みして掲載してくれる出版社は存在するだろうか。この東大一直線の絵ってほんとすごくて、あれがジャンプに載るなら便所の落書きでも二科展に入るのではないかという凄さ。ましてやしょこたんあたりとは比較にならない。

しかしそれでも10年、20年と続けるうちに、絵は確実にうまくなってくる。今では抜群にうまいというわけではないけれども、少なくとも他と遜色はない。小林よしのりに限らず、かつての漫画家というのはおしなべてそんな感じ。デビューしてから絵が「固まる」のには10年ぐらいかかっている。高橋留美子を見ても、「うる星やつら」の第1巻と第34巻では、月とスッポンぐらい絵が違う。「めぞん一刻」もそう。特に「めぞん一刻」の場合、連載開始時に15巻を描くための画力ははっきり言ってなかった。1巻の時の絵で、響子さん五代くんの契りを描かれていたらまるで別の作品になっていただろう。

ところが、最近の漫画を見ていると、はじめから絵が「固まって」いる、すなわち連載の最初から最後まで絵が変わらない漫画家が多くなった。もちろん鳥山明のように、最初から絵がうまい人も昔からいたけれども、かつてはそれが例外で、頭身が変わるぐらいは普通だったのに、今の連載漫画はその方が珍しい。

何が言いたいか、というと、かつては「種」であれば認められたのが、今でははじめから「実」を要求されるのではないか、ということ。かつては「種」のままでもなんとか業界に潜り込めれば、あとは業界にもまれながらその中で育つ余地があったけれども、今は「実」を持っていない人は業界に潜り込むことさえできなくなっているのではないか。

1. 業界が成熟すればするほど、業界内成熟するのは難しくなる。

これは、漫画界だけではなく、任意の業界について成り立つように思える。まだ業界の成立すら明らかでない黎明期には、そもそもその業界でどんな才能が必要かも明らかではない。関係者全てが未熟で、参加者は業界を回しながら、業界の中で成熟していく。その中には必ずしもその業界向けの才能を持っているとは言えない人もかなり混じるのだけど、それでもそこに踏みとどまっていれば、経験が最初はわずかだった才能を育てていく。

しかしその業界が育ったとき、その業界にかつてその業界を始めた人々程度の才能の持ち主の居場所は払拭している。かつては才能なんてなくても情熱があれば続けていけた世界の門は、その業界が育てば育つほど狭くなっていく。

実はネット業界もこれに結構似ている。90年代後半に要求された技能と、今要求される技能では、今の方がずっと高度。90年代だったら確実に職を得られた人が、現在同じ職に付けるかははなはだ疑問。それでも、ネット業界はその中でつぎつぎに「ミニ業界」が生まれる業界でもあるので、まだまだ隙間は大きいのだけど、かつてならHTMLが書ければプロになれたのに、今ではHTML Parserを書けるぐらいでないとプロになるのは難しいというのは確か。

だから、才能というものに関しては、自分がどんな才能を持っているか以上に、世界がどんな才能を必要としているかというのも重要なのだと思う。同じコナンでも、必要とされるのがコナン・ザ・グレートなのかラナのボーイフレンドなのかはたまた江戸川コナンなのかは、時代によって異なるのだ。

2. 才能というのは、「ある」「ない」より、「育つ」「育たない」という側面が大きい

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ちなみに言えば、才能にもいろいろな種類があるので、ひとつのジャンルでうまくいかなくてもいろいろ試せばいいと思うんですけどね。選択肢が狭すぎる気がするんですよね、進路に悩む学生の話を聞いたりすると。ある道でダメだということになると、即、人生がおしまいみたいに考えてしまう。全然そんなことはないんですけど。

上で見た通り、才能というのははじめから「ある」「ない」というものでは決してなく、あることを一定期間続け行けば確実に育つものでもある、現在日航で機長になるには、少なくとも38歳までかかるそうなのだけど、医師にしても一人前だと感じられるようになるには、10年ぐらいは経験をつまないと駄目だと医師の友人たちは口を揃えて言う。「いろいろ試せばいい」という言葉にすっきりしないものを感じる人が多いのはそのためだろう。いろいろ試しては、育てる暇がなくなる。しかし10年立たなければ芽が出ない種を育てるだけの忍耐力が自分にあるとは限らない....

この中で、割と行けそうな選択肢というのは、はじめのうちは才能を「横にのばす」、すなわち「いろいろ試してみる」のに時間を裂き、その中でものになりそうな種を今度は「縦にのばし」、そこで実った「種」を少しずつ違う土壌で「育てる」というやり方。面白いもので、一度でもある「才能」が「実を結ぶ」と、その実からとれた種をまくとまた違う「才能」が育つ。私自身、自分に利殖の才能があるなんてことは知らなかったが、それは「プログラミング」という「才能」を育てて得た実があったから気がついたこと。

いずれにせよ、種を実にまでした経験があるのとないのとでは、得られる自信がかなり違ってくる。どんなに小さな草でもいいから、そうした経験はやはり0x20 = 32歳あたりまでに得ておいた方がいいと思う。

Dan the (Gift|Curse)ed