結局、この国の経世済民というのはそういうことなのではないか。
ちょーちょーちょーいい感じ:村上裁判:結局は利益至上主義を罰したかっただけでは?これは、明らかなインサイダーとして罰することはできないけども、村上ファンドの活動そのものを罰したい、のように読み取れる気がするのですが、いかがでしょうか?Espresso Diary@信州松本:日本のマスコミには距離を置いて、円を売ります。
私は、日本にある多くの規制や法律が、過干渉な感覚をベースに作られていると感じています。
もし市場を信じているなら、村上ファンドの「始末」は市場にまかせられたはず。市場を守るための法とその運用に不備があるのであれば、それをきちんと直していけば、村上ファンドには「間に合わなく」ても、市場全体としての公正はさらに高まったはず。
ところが、今回の判決は、明らかに罪を罰しているのではなく、人を罰している。今回の判決だけを見てもそれはわからないけど、他の判決と比べてみれば、いやでもそれがわかってしまう。
先日のひろゆきとの対談で、私に一番刺さったのは、以下の箇所。なぜか誰も引用してくれなかったので、自分で引用してみる。
2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? p. 212小飼 僕は、嫌なことにに出会うと、「さあ来た!」という感じになって、片付けるのが楽しくなっちゃうんですよ。
西村 その心境わかります。本当に嫌なことに対して頑張っている時分は、どういう経験を得て、どういう感情を持つんだろうと、自分のことに置き換えてしまうんですよね。心から嫌なことやっている自分の心境を、知りたい欲望に駆られる。そして予想どおりの結果になって後悔するんですよ。
村上氏は、本当にファンドなんかやりたかったのだろうか。本当にアクティヴィストになりたかったのだろうか。もし判決主文どおりの「強い非難に値する」人物で村上氏が本当にあったのであれば、アクティヴィストみたいな面倒で嫌なことをしなくても儲ける手段はいくらでもあるし、氏にはそれだけの才覚はあったはずなのに、なぜ氏はそれをあえてやったのかといえば、上記のような心境ゆえなのではないかと憶測せずにはいられない。
そしてやってきた「予想どおりの結果」。司法関係者各位には、結果を予想どおりに持っていったに対してご苦労様と申し上げる。その判決のもたらす影響を予想し、その結果にまで責任を感じたら、とても出来ない快挙である。
この判決の影響はどのような形で出るだろうか。私は莫迦なのでとても全部は予測できないが、これが日本売りの好材料だというのはわかる。日本円はこれでますますロングしにくくなったわけだ。過干渉は今後も続く。しかし、過干渉の結果生じた損失を補填するための原資は払拭している。そんなところで、嫌なことに対して頑張るリスクをとっても、充分なリターンは見込めない。
おそらく今後の日本において、いちばんみじめな思いをするのは、日本を飛び出すだけの気力もなければ、さりとて引き蘢るだけの諦めもない「真ん中」、すなわち大多数の人々だろう。しかし、この大多数の人々が、過干渉をよしとしていると干渉している人々が思い込んでいる限り、それは今後も続くのは間違いない。
などと、私がblogで書くのも一種の過干渉かも知れないが。
Dan the Expected and Disappointed
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。