♪もっていけ最後に笑っちゃうのは私
♪ムラサキだからです←結論
♪アルファギークなのにわからないのどうするよ

アルファギーク、らき☆すたを理解しようと努める:小鳥ピヨピヨ(a cheeping little bird)
「……らき☆すたの面白さだけは、わからないんだよなぁ……」

失礼しました。私もそう思っていたので、その理由を考えてみた。

らき☆すた」は、普通の女子高生の物語。以上。

これではお話にならないはずで、実際お話にならない。少なくとも、わざわざお金払って自分の時間まで削って見聞きするまでもないはずである。本来であれば、自分の友人とだべっている方がよっぽど面白いはずではないか。

ところが、「らき☆すた」の場合、らき☆すたは面白くないこと、まさにそれ(勝ち|価値)なのだ。「らき☆すた」は、話にならない部分を、読者や視聴者が補ってはじめて楽しめる話なのだ。要は白米。おかずは読者や視聴者が自分で用意するのだ。

だからこそ、「らき☆すた」本編はどこが面白いのかまるでわからないのに、そこから派生した作品はかなり楽しめるのだ。本編がハァ?な私も、「らきすためいでん」や「ソードマスターこなた」には大笑いさせてもらった。このことは、なぜアニメでこなたがハルヒになった時にあれほどの反感と失望感が出たのかの説明にもなっている。

本作品で一番「面白い」のは、泉こなたか小神あきらだが、そのどちらにしてもちゃんと「普通」の範囲に収まっている。こなたはおたくではあるけどギークには届いていないし、ましてやアルファではない。ギークだったら自分で作品作って持ち込むなりコミケで売るなりするだろう。小神あきらも、「普通の」というよりステレオティピカルな「ゲイノー人」に収まっている。

実は普通を描く際に、この程度の「ゆらぎ」は必ず必要なのである。そうでない、偏差値50ぴったりの普通人というのは実はなかなかお目にかかれないし、むりやりこさえても不気味の谷の底になってしまう。「らき☆すた」が普通のフィクション、すなわち普通でない人々が縦横無尽に活躍する作品と同じぐらい、細かくキャラクター設定をしてあるのは、それくらいしないとリアルな普通が演出できないからだ。

それだけキャラクターに力を入れておいておきながら、ドラマには欠かせないはずの「事件」はまるで起きない。せいぜいこなたがネトゲのやりすぎで寝坊するぐらい。他愛もない日常と、他愛もない会話。そこには宇宙人も未来人も超能力者も登場しない。

そういうお話が今までなかったかというと、ここにある。

この「OL進化論」もまた、普通のOLたちが、他愛もない日常と、他愛もない会話をしていく物語だが、OL進化論の場合、実は「現実」をゆるくしかし鋭く描くというドラマになっている。そこには世相が実に的確に描かれ、単行本を通してみると、それがバブル開始からその崩壊後の日本を描いた、フィクションの形を取った見事なノンフィクションになっている。

だから、「OL進化論」でMADをやろうという気は起こらないはずだ。なにしろアニメ化さえされていないのだ(それはそれで見てみたいが)。じゅんちゃんのMADを作ったら、なんだかぶっとばされそうな気がしないだろうか。

OL進化論でも、白米扱いするには現実臭すぎるのだ。

その点、「らき☆すた」は主人公たちは皆高校生。キャラクターになる程度には人生経験を持ちながら、まだ娑婆のにおいが染み付いてないという絶妙な時期だ。登場する大人も、黒井先生にしろ唯ねえさんにしろぜんじろう(こなた父)にしろ、娑婆臭くなりにくい職業ばかりだ。デスマーチの末過労で病院に担ぎ込まれたエンジニアは間違っても出てきそうにない。

本当にいそうでありながら、現実の痛さを背負っていない。だから、見る方にいじる余地が生じる。そして見る方はそれを楽しむ。

実は、これはCPANモジュールにも共通している。CPANモジュールは、それだけでは部品で何も出来ない。使ってもらってはじめて「楽しめ」る。Acme::のようなネタモジュールもあるし、MIYAGAWAモジュールの多くのように、「installしてすぐ使える」というモジュールも多いが、本当によく使われるモジュールは、なるべくPerlの世界の「普通」に作ってあるし、だからこそPerlの世界観を受け入れているユーザーはすぐにそれを使うことが出来る。そしてPlaggerのように、「らき☆すた」とは真逆に、世界の方を提示して「キャラクター」をユーザーまかせにするモジュールもある。

個人的には、Encodeももっと「精米度」を高めたいとも思うのだが、Unicodeが娑婆臭すぎて、あれ以上はちょっと無理というのが本音といったところか。

話を「らき☆すた」に戻す。よって歌の続きは、こうなる。

♪アルファギークなのにわからないのどうするよ
♪アルファだからです←きゃわいい

....と、つらつら書いてきたが、実は私は「らき☆すた」に限らず高校生活が描かれているフィクションのリアル度がどれほどのものか、よくわかっていない。なにしろ私はその経験を持たないのだ。塾の講師をしていたので、授業で何を教えているのかは見当がつくのだが、授業内容なんて、フィクションでは真っ先に省かれる項目でもある。

だから、フィクションを通してしか普通を知らない私には、学園モノは結構勉強になる。それは面白いというのとは違うのでもあるけれど。

いづれは、キャラだけ設定してどこかに転がしておけば、ニコニコ動画で立派な作品になって仕上がってくるようになるのだろうか。そんな日はそれほど遠くないような気がする。

Dan the Extraordinary