前著「もてない男」とともに読了。
こりゃ、もてない。
本書「帰ってきたもてない男」は、前著「もてない男」の続編というよりは、「もてない男」の反響に対する返信。本書を読むと、著者がなぜもてない--もてなかった--かが、いやでもわかる。
p. 072前に触れた『肉体不平等』で石井政之は「容姿に関係なく、不相応に自己評価が高いともてない。それは小谷野敦がその人生を賭けて証明した事実だが」と書いている。いや、別に賭けてなどいないが....
少なくとも、前著と本著の間で結婚して離婚して、今また結婚した以上、「賭けてまで証明」したわけでないのは事実だが、「不相応に自己評価が高いともてない」は真実であり、前著と本著がその格好の事例であるというのは確かだろう。
もう少し厳密に言うと、もてない人というのは、もてようとする試みによって自己評価が下がるリスクを取れない人のことだ。「こんなブスとつきあっているなんて」「こんなバカとつきあっているなんて」ということに、耐える気がないからもてないのだ。
異性に限らず、人に好かれることを「もてる」と呼んだのは誰だろう。これほど的確で奥深い言葉というのは滅多にない。なにしろ、「もてる」人は「もっている」けれど、「もつ」ことにこだわらないからだ。金も要望も知識も、もっているだけでは持てない。それを惜しげなく手放せなければもてないのだ。「もてない人」というのは、実は手放さない人のことでもある。
確かに、何ももっていない人、あるいはそう思い込んでいる人はもてない。その意味で、金持ちほどもてる、容姿に恵まれた人ほどもてる、知恵がある人ほどもてるというのは嘘ではない。そして何をどれだけもっているかというのは、明らかに個人差があり、不平等といえば不平等だ。その点に関しては同情の余地はある。
しかし、相手に渡すべきものを持っているのに、それを渡さないという点に関しては、私はもてない男女に対して全く同情できない。前著も本著も実にさまざまな角度からもてないとはいったいどういうことかが書き連ねてあるが、しかし「自分に惚れられることで、相手はどう思うか」だとか「何を渡すと相手がよろこぶか」という視点は全く出てこないのだ。そこまで身勝手なのに、相手にほれられると思う方がおめでたい。
そのもてない男である著者は、最近再び結婚したようだ。それがもてるようになった結果かどうかはわからないが、前著の段階よりも今の方がもてるようになったのだろう。それは前著と本著の違いからも察することが出来る。どういうことかというと、本著の方が自己評価を下げるリスクファクターが強いのである。要は道化度が上がっている。例えば著者は本著において、テレクラの体験談を書いているが、これは著者の自己評価を少なからず下げる行為だろう。それでも、巻末に「七カ条の求婚条件」を書くあたり、自己評価過剰は相変わらずのようにも見受けられる。今度の嫁がそれを全て満たしているところがなんともはやだが。
しかし、「もてる」というのは、実は男女間のことに留まるものでもなく、そして結婚すれば不要ということでもない。釣った魚にえさはいらぬとばかりに振る舞えば、今度の結婚も早々に破綻するのは明らかだろう。その意味において、「もてるための試み」は、一生モノというより人生そのものなのかも知れない。それは結局のところ、何を手に入れ、何を手渡すということなのだから。
Dan the Beloved

結婚している件について。