日本語でイスラムを知るための、最初の一冊。

本書「預言者ムハンマド」は、日本人でかつムスリムである著者が書いた、ムハンマドその人の伝記。日本語でイスラムを「外から」、すなわち異教徒として外から書いたものは結構あるが、「中から」、すなわちイスラムとなった上で書かれたものとなると非常に少なく、それだけでも本書は読むに値する。

預言者ムハンマド|書籍|PHP研究所
彼はブッダやキリストと違って生涯家庭をもち、妻子を愛した聖人であった。15歳年上の第一夫人ハディージャをはじめ、生涯で11人の妻をもち、6人の子をもうけたのである。また、戦役における軍の指揮や詭計にも優れていたが、誰よりも平和を求めた男であった。以上のことからも、イスラームにまつわる「女性蔑視」「好戦的」などといったイメージが誤解であることがわかるだろう。世界で13億人を超える信者をもつイスラームの教祖の実像を、日本人ムスリムが雄渾に語る一冊である。

著者はこのムハンマドを、日本人では伊能忠敬に例えている。確かに商人としておかみさんのところに事実上婿に行き、そこで商売をきちんとやってから第二の人生に入るというところはそっくりである。

ただし、その第二の人生は実に正反対。伊能忠敬の方は、時の権力の庇護をかなりの程度受け、その仕事も時の権力のために役立つものだったが、ムハンマドの場合、時の権力に逆らい、自らが権力となっていく過程だった。著者は穏健はイスラムとして、イスラムは決して好戦的でないことを強調しているが、それしかないとなれば徹底的に戦うのもまたイスラムである。そしてイスラムにおいては、預言者自らが戦いの戦闘に立っていたという点も他の宗教とは異なる。コラーン(QRAN)には、宗教的とはとてもいえない日常のことも実に細かく書いてあるが、実践的で実戦的なのもその教祖を色濃く反映しているようだ。

本書は、客観的に書かれた書物ではない。あくまでイスラムの立場から、日本の読者にムハンマドとはどういう人だったかを解くことを通してイスラムとは何かということを説いた書物である。それが、いい。こういった書物で客観性を追求すると、どうしても読者よりになる。英語圏におけるこの手の書物は、実にキリスト教よりだし、日本におけるイスラム本もまた多神教よりすぎて、かえって何がいいたいのかさっぱりわからなくなる。本書は、はじめから著者が立場を鮮明にしてくれているおかげで、実にわかりやすかった。

ところで、イスラムでは異教徒を二種類に分けている。一神教徒とそれ以外である。そしてこの二つは扱いが違う。あくまで異教徒として尊重するのは、前者のみだったはずで、それ以外、すなわち唯一神を信じないものは「人でなし」なのである。さすがの著者も、この点に関してはかなり筆致を弱めて書いているように思う。

だから、本気でイスラムのことを知りたければ、本書を読んだだけでは足りないことはすぐわかる。とはいえイスラムは、入信したものしかイスラムはわからないという立場を取っている。おそらくほとんどの日本人にとって、イスラムは、知らずにいるにはあまりに影響力が大きく、しかし入信まではしないという宗教であり続けるのだろう。そのイスラムとどうつきあうべきか、答えはまだ見えない。

おそらくそれはイスラムにとっても同様だろう。一神教徒との「折り合いの付け方」はコラーンに書いてあっても、多神教徒との折り合いの付け方はコラーンにもどうやら書いてない。もしムハンマドが日本まで来ていたらどんな言葉を遺したのだろうか....

Dan the Pagan