ありえない。
このリストの中に、あの作家の名前がないことに。
筒井康隆の名がないことに。
今や「時をかける少女」や「パプリカ」のおかげで、教科書も取り上げざるをえない、そしてその教科書にいちゃもんを付けるのに絶筆さえ厭わない「ふつうの大作家」という感もあるけれど、私がティーンエイジャーの頃は、「読ませたくない作家」の常に上位にあったのがこの人だった。中坊のころ、私は「筒井を読んでいる」といっただけで国語教師にハブられた。
なにしろ、このひとの短編集は、エロ・グロ・ナンセンスのオンパレード。長編としてまとまったものこそ「俗物図鑑」とか以外に少ないのだけど、多くの「メジャー向け」にスパイスとして入っているパトスだけで一作品というのがごろごろしているのだ。
あまりに多いので、ここではそうした作品を紹介する代わりに、それらの作品を紹介した作品を以下に紹介する。この「筒井漫画涜本」(「涜」は本当は旧字体)は、これらの筒井の短編を、ツツイストでもある有名漫画たちがそれぞれ漫画化したもの。原作がいいこともあって一作品も外れがないのだが、しかしもっと驚くのは、これらのどの作品も、筒井の原作の方がエロくてグロくてナンセンスなこと。
例えば「死にかた」。相原コージ版は、実に気合いのこもった力作で、サルまんを描き切ったことを十分納得させるものだったが、それでも鬼にただ殺されていくという不条理のインパクトは、文字だけの原作が勝る。漫画の最大の武器である絵が、ここでは読者の想像力の足かせになってしまうのだ。そこにおける情景は、漫画においては漫画家が描が、しかし小説においては文字を種に、情景は読者が思い描く。そしてその部分が読者まかせであり、そして各読者にとって最もふさわしい情景は各読者である以上、漫画はどうしてもかなわないのだ。
「窮極の情景」を描くのに、実はこの点において、読者自身に借力できる漫画は小説よりかなり不利なのだが、それをもっとも簡単に味わえるのが実はエログロナンセンスで、そしてこの分野においていまだ筒井の右に出るものはいないように見受けられる。
そして筒井の「絵にも描けないすごさ」には、漫画がある。筒井は、漫画のすごさを偏見抜きで認めた上で、漫画に対しガチで勝負を挑んだ作家のパイオニアでもある。「絵にも描けない」ことも描ける、いや読者に描かせることが出来るのが小説のすごさだが、それは逆に「絵に描ける」ことであれば漫画の方がずっと読者にとってよいことも意味している。
筒井自身が、いくつかの作品を漫画化した理由が、おそらくこれなのであろう。筒井は何が絵に描けて何が描けないかを、自分で確認したかったのだ。これらの筒井漫画もまた傑作ぞろいで、例えば「傷ついたのは誰の心」は、「筒井漫画涜本」で蛭子能収も漫画化しているのだが、筒井本人によるものの方が面白い。
すでに漫画がフィクションを読者に届けるための第一選択となって久しい。現代の作家でそれを知らぬ人はいないと思うが、しかしそれに対してガチで勝負する作家は今もってほとんどいない。「最高級有機質肥料」を書くのに、自らの大便をつぶさに観察するだけの観察力を持つ作家は今後いつ現れるのだろうか。
筒井康隆は、フィクション界のモハメド・アリである。アリと同じように、今では万人に認められてはいるが、しかしその実態は renegade 。こういう作家は、人に教えられて読み始めるのが実に悔しい。私は物心ついたときには読者になっていたのだが、なるべくそういう形で出会うことを願っている。「ときかけ」を読んだ後に、「問題外科」を偶然読んでしまうような幸運にあなたが恵まれますように。
Dan the Tsutsuist


正:意外に少ない
筒井康隆は未読です。
まとまった時間ができたときに手を出したいと思います。