「さんざんアフィっておきながら何抜かす」と言われるかも知れないが、けだし同感。

Copy & Copyright Diary - 本は買って読むべきか?
「本は買って読むべきだ」と言える人は幸せな人だと思う。

私自身、「本は必ず買って読む」ようになったのは、ここ数年、それも現在のマンションに引っ越してきてからである。それまでは、「本を読む」!=「本を買う」だった。それまでは、たとえ本を買う金があっても本を置く場所までは確保できなかったのだ。

見ての通り、現在の住まいには特注の本棚がある。天井高3mいっぱいの、一番上までアクセスするには脚立が必要な、特注の二段スライド式。リビングのそれは幅8.5m、寝室のそれはその3/2ほどの幅がある。平均的な新書であれば、全部で2万5000冊収納できるようになっている。

この本棚のお値段、およそ200万。これは本棚の性能を考えれば破格の値段だ。

しかし、本棚の値段も、それが置かれている物件の値段に比べれば瑣末とも言える。いくらだったかはここで言うつもりはないが、億ションだというのは確かである。

数冊なら机の上でもいいだろう。数十冊なら枕元でもいいだろう。しかし数百冊になると本棚は必須。数千冊を超えると本棚が日用品と干渉するようになり、そして数万冊となると不動産の問題になってくるのだ。

本というものは、手元に置こうとしたとたんに費用逓増の法則が働く。本好きはこのことを忘れてしまいがちだが、本ときちんとつきあうためには、このことにきちんと留意しておく必要があるのだ。

にも関わらず、本を手元におく価値があるかというと、私にはあった。中卒の私が曲がりなりにも知価をもってそれなりの財をなし得たのは、本なしにはあり得ない。不動産まで含めてもなお、本は私に心身ともに富をもたらした恩人である。

しかし、それが一般化できないのも重々承知しているし、恩人ならぬ恩書の多くが、まだすかんぴんな頃に図書館で読んだものであるというのも事実だ。実際私が最も本を読んだ時期には、私は教科書ぐらいしか所有していなかった。厳密には実家にはあったのだが、手元にはなかった。その実家にある本も、過半は古本であった。

結局のところ、

5号館のつぶやき : 本を所有することの科学的意義
偉そうなことを言っても所詮は自己満足ですね。

というあたりに落ち着く。

私が書評において、本の内容だけではなく、その値段や版型に関しても言及することが多いのは、今までの本とのつきあい方が多いに反映されているのだろう。そしてそれが「売れる書評」としての価値を高めていることも実感している。

今の私が幸せか、というと、そうでないことも多々ある。世間的には家族も財も得た故不幸といったらバチがあたりそうではあるが、これらについてくるのは幸福ばかりではないのだから。それでもなお、「読書運」に関しては幸せであると言える。個人的には異性運の次あたりだろうか。金銭運も悪いとは言えないがそれよりもなおいい、というより私の場合読書運にそれが付帯してきたというのが実感だ。

あなたにもよき本が訪れますように。

Dan the Lucky Bookworm