もはや、ニコニコ動画は正しいかどうかという段階を通り越している。

「ニコ動」平均利用時間、Yahoo!やmixiを上回る IDは300万突破 - ITmedia News
ネットレイティングスによると、「ニコニコ動画」の1人当たり平均利用時間が、Yahoo!JAPANやmixiなどの大手サイトを上回った。ニコニコ動画のIDは300万を超えた。

「ニコニコ動画が正しい」ではない、「ニコニコ動画の中で、正しいを見つけて行く」のである。

Twitter / yomoyomo: 何でYouTubeに公開しない? 皆がアカウント持って...
何でYouTubeに公開しない? 皆がアカウント持ってると思ったら大間違いだ

実は私もそうだった。私のIDは40万台。まだニコニコ動画がYouTubeに「かぶせて」いた頃から観ていたにしては、決して早い方ではない。その理由がIDの存在。しかし、なぜYouTubeからニコニコ動画がハブられたかのいきさつをみれば、ID制というのは必要悪であり、そしてIDの発給が早い者勝ちというのはその時考えられる状況で最もフェアなものだった。「もし自分がニコニコ動画を運営していたらどうしたか」。私が出した結論は中の人々と同じだった。そう自分が納得した時、すでにIDは40万台だったわけだ。

そしていったんそこに入ったら、もうそれなしの頃には戻れない。ニコニコ動画はそんなサービスだ。

ニコニコ動画の魅力は、そのコミュニティの温かさにあるんだよ - ただのにっき (2007-09-24)
つーかですね、個人的には1993年あたり(?)からインターネットを使うようになって以来、ニコ動はかつてないほど最高に面白いサービスだと言い切ってもいい。これに触れずにいるなんて、なんてもったいない人生を送っておるんだ、キミたちは。

Can't agree more. しかしそうなるにはまずはIDを取らなければならない。ニコニコ動画の一番の問題は実はこれかも知れない。そしてIDを取るのにためらいがあるのは、むしろ昔からネットを使っていて、「ネットかくあるべし」という考えをしっかり確立している人々に多いようにも思う。だから、私は「なんてもったいない人生を送っているんだ」というのは正しい考えではあっても正しい言い方ではないと思う。私ならこういう。

「批判は実際に体験してからお願いします」

そして、そうやって実際に体験してから「負けなかった人」を、私は一人も知らない。ニコニコ動画は、「負けて」よかった最高のものの一つだ。少なくとも私にとっては。

それでは、ニコニコ動画の何が正しいのか。

1. 正しいはやってみなければわからない

ITPro Challengeの戀塚さんのプレゼンで、一番印象に残ったのは、「ボツにするのは作ってから」ということ。あるアイディアが出た時、戀塚さんはそれを一つ残らず実装したのだそうだ。理由は、そうでないとそれがイイのかダメなのかわからないから。

このことは、ニコニコ動画のコンテンツにも受け継がれている。「これとこれと組み合わせたら、どんなMADになるだろうか」と視聴者が「念じる」と、早ければ24時間以内にそれがうpされる。いいものもあるしイマイチなものもあるが、それがイイのかそうでないかは24時間以内にわかる。イイものはランキングが上がり、さらにははてブされたりblogやmixiで取り上げられて、あっという魔に知れ渡る。そうでないものも、そこに転がっていることで別の誰かがMAD素材として再発見してくれたりする。

ニコニコ動画がもはや「違法コピーをただで観れるだけの場所」に留まらないというのは、今やコンテントプロバイダーも知っている。中にはさよなら絶望先生のように、SEOならぬNEO = Nicovideo Environment Optimization がなされるよういなった作品すら見受けられる。もちろん同作品の場合は「ニコ厨氏ね!」とか「ピー」とか、形の上ではニコニコ動画をdisってはいる。しかしそれは漫才の突っ込みの「ええかげんにしなさい」というのと同じで、本当にええかげんにされたら今度は作る方もすべってしまうのだ。

「とにかく出来ることをやってみること」。ニコニコ動画の成功の第一にしてもっとも根本的な理由はこれである。

2. 正しいをマジ受けしすぎない

とはいえ、「とにかくやってみた」だけで成功したものというのもまたない。「優れた技術やサービスさえ提供すればうまく行く」と思っている人たちが一番見落とすのがここだ。彼らは自分の正しさを信じるがあまり、既存の技術やサービスと「正しく」真っ正面から戦っては玉砕してしまう。

しかし、ニコニコ動画はちがう。既存の勢力からの圧力には「はいはいそうですおっしゃるとおりです」とばかり低姿勢に、依頼があればすぐに動画をFooさんの笛と差し替えつつも、Google買収後のYouTubeのように「今後こういうDRMの導入を検討しています」なんてことは言わない。

要するに、「正しいが何か」ということを、自分の口からは言わないのだ。言う必要もない。それはユーザーが知っているのだから。いや、厳密にはユーザーも知らない。しかし、ユーザーは何が正しいかなんて考えなくとも、何が面白いかはきちんと表明する。ただそれを視聴することで、コメントを打つ事で。そして作品を上げ続ける事で。

それが端的に現れた例が、「School Days」と「ひぐらしのなく頃に」の放送中止に対する反応。はじめは単純に「正しさ」を求める動画やコメントが多かったが、しかしいくら声高に弾幕を打っても、

【B面】犬にかぶらせろ! - ひぐらしとかスクールデイズとか
この辺の問題について。表現の自由云々ではなく、コンテンツに金を払うかどうかという問題なんじゃないか。

ということにユーザーも気がついた。そもそもTVを通してタダで見れる方がありがたいことであり、作品の中の人々が「やっぱ見せません」と言ったら、結局のところ手も足も出ないのだ。

そして何が起きたか?それが右の作品。だれか「外の人でも見れる」ようにYouTubeなりにうpしてくれないかなあ。

一本取られましたよ。こういう「解」があるなんて。

「正しいはまじめに考えなきゃ正しくない」と思っている人から見れば、これはとんでもないことなのだけど、どちらが伊達で、どちらが面白く、そしてどちらがこの世を動かして行くか、といえば、こちらのやり方なのだ。

とはいえ、ニコニコ動画のID所有者もすでに300万。ここまで来れば、すでにニコニコ動画は「正しさ」が内部完結するには大きすぎるとも言える。そろそろそこで得た知見をその外にも広めて行く段階であり、そのためにはどうしたらいいかもかなりの確信を持って言える段階にあるのだが、具体的にそれが何なのかというのは、すでに長くなったのであとで書く事にする。

Dan the Nicophilia