発想する会社! (The Art of Innovation)」と一緒に献本いただいたのだが、すっかり書評が遅くなってしまった。

これまた最高のドラマ。

本書「ローバー、火星を駆ける」は、Mars Roverの20年。Mars Exploration Rover - Wikipedia, the free encyclopediaにあるとおり、マーズローバー、スピリットとオポテュニティは2003年の6月と7月に打ち上げられた。しかし、この物語が始まるのは、1987年のモスクワである。

なぜか。解説の松浦晋也に教えてもらう事にしよう。

P. 465

「いったいなんだってこの人たちはこんなに苦労しているんだ?」--本書を読み終えた多くの人は、そう思うだろう。本のタイトルは『ローバー、火星を駆ける』だ。きっと火星探査のわくわくする冒険が書かれているにちがいない。大多数のみなさんは、そう思って本書を手に取ったのではないだろうか。

ところが、本書の前半で延々と描かれるのは、労苦と絶望である。大量の書類作りの労苦と、嘆声込めた書類を予算を握った官僚達に否定される絶望だ。

そう。本書はその労苦と絶望まで描いたノンフィクションである。

火星は、遠い。最も近づいた時でも5600万km、最も離れるときには4億km近い。一番近いときでも、月の150倍も遠いのだ。しかも、これはあくまで直線距離。実際に火星に行くに当たっては、今のところホーマン遷移軌道という楕円軌道にのせなくてはならない。そして、この軌道はいつでも使えるわけではない。地球と火星の位置関係が絶妙となるローンチ・ウィンドウの時期でないと駄目なのだ。

この「火星への窓」が開くのは、およそ2年2ヶ月に一度。NASAは1992年のマーズ・オブザーバー以来、ほとんど欠かさず探査機を送り込んできた。ローバーの後も、マーズ・リコネッサンス・オービターが火星に到着し、そして今年の4月にはフェニックスが打ち上げられて火星へ向かっている。

P. 467
つまり、本書で描かれるのは、「世界で最も恵まれた環境にいる惑星科学者が、どうやって火星探査を実現しているか」ということなのである。

その彼らにして、1987年の構想の具現化が2003年になるという厳しい世界なのだ。そうやって具現化した探査機も、火星にたどりつけるものは2/3。日本ののぞみは、残念ながら残りの1/3の方に入ってしまった。そして、現況では日本の次の火星探査器はまだ構想どまりのようである。

その「世界で最も恵まれた」はずの彼らの苦労ぶりは、国を問わず共感できるものである。迷信とは無縁の科学者集団であるはずの彼らも、打ち上げにあたってはゲンを担ぎ、制御コマンドにINIT_CRIPPLEDとかSHUTDOWN_DAMNITと名付け、そしてスピリットとオポテュニティの姉妹には機械を超えた愛情を注がずにはいられない。彼らはその意味で、実に普通の人々なのだ、その普通の人々に普通ではありえない力を出させる力が、火星探査にはあるのだ。

これだけでも、火星探査を続ける理由としては充分ではないのだろうか。

火星 - Wikipedia
火星探査は近年根強く実施されているが、前述のように探査計画の約2/3が失敗に終わる上に、莫大な予算がかかるとして批判する声も大きい。「火星に水がかつてあった。それがどうした。我々の生活に関係あるのか? 予算を地球の為に使うべきだ」というようなものである。実際には(アメリカ合衆国を例に取れば)国防費の1/20以下のNASAの予算の、更にごく一部が火星探査に割り当てられているに過ぎないのだが、こうした声を無視する事も出来ず、探査計画の低コスト化が進められている。

確かに火星に限らず惑星探査ともなると、地球近傍の宇宙開発と違って実利を主張するのは不可能ではないにしろ難しい。「そこに〜があるからだ」という台詞は、チョモランマに行くには十分でも火星に行くには心も財布も苦しい。

火星探査に限らず、「どうやって宇宙に人の目と手を送り込むか」に関しては、徹頭徹尾理詰めの世界で、そこに「ただそうしたかったから」という感情の入り込む余地はほとんどない。しかし、「なぜ宇宙に人の目と手を送り込まねばならないのか」という設問は、実は理詰めではほとんど答えられない。

しかし、我々はスポーツを楽しむのに理由を求めているだろうか。そこでは「それが楽しいから」というのはそれをする充分な理由になっている。そしてプロスポーツを巡る金は、先進国において宇宙開発を遥かに上回る。

宇宙開発の理由も、これでいいのではないだろうか。

だから大事なのは、それがスポーツなみかそれ以上に楽しいということを示すことだと思う。実際、宇宙開発は単なる観客として見ても楽しい。スポーツと同じく、ルールがわからないと楽しめないが、ルールを知れば知るほど楽しくなるというのもまたスポーツと同じだ。

宇宙開発が人智の限りを尽くさねば成功がおぼつかないほど難しく、にも関わらず理論の限りを尽くしても「なぜそうするか」を説明できない以上、その楽しさを伝える広報もまた宇宙開発そのものと同じぐらい重要に思える。宇宙開発にたずさわる人々もこの点には気がついているようで、ここ10年で各国の宇宙開発機関のWebサイトはみちがえるようによくなった。しかし、まだまだプロスポーツの世界には追いついていないように見える。例えばJAXAのページでは、打ち上げはストリーム中継しても、地味だがファンには垂涎の一般広報はPDFのままだ。ああわかってねえ。

それでも、本書のような本が外国語でなく自国語で読めて、自前のロケットを持っているこの国のポジションは悪くない。確かにNASAとJAXAの間には、MLBとプロ野球以上の差があるし、NASA以前にESAと比べても少し見劣りするけれども、「地元チーム」として応援するに足りるだけの実力と業績はあるのだ。

来月にはかぐやが月に到着し、再来月には観測をはじめる。今から楽しみである。このかぐやを打ち上げたH-IIAロケットなら、同様の軌道を取るとして、単純計算でローバーたちを火星に送り込んだDelta IIの倍近くのペイロードを火星に送り込める。現在開発中のH-IIBなら、さらにその倍(といっても、探査機用としてはH-IIBは大きすぎるので、打ち上げはH-IIB実用化後もH-IIAの方になると思うが)。あとは探査機をどうするかだろう。

英語で"Rocket Scientist"というのは、最も難しい問題を解く人の代名詞でもある。"It doesn't take a rocket scientist to do that"といえば、それは「きみにもできる」という意味である。Sure, it does take a fleet of rocket scientists to launch them. But it doesn't take them to advocate it. 宇宙開発を応援するのに、知識はいらない(もちろんあればあるほど楽しめる)。そして多分、理屈も。

Dan the Rocket Science Advocate

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