その経済学のイロハである需要と供給の法則がなぜ実地で働かないかは、中卒でもわかる。

池田信夫 blog 偽装請負を生み出しているのはだれか
これが経済学の教科書の最初に書いてある「需要と供給の法則」である。雇用規制を強化すると労働需要が低下し、失業者の雇用機会を奪って、結果的には格差は拡大する。

タイトルどおり、労働者はES細胞じゃないからだ。

需要と供給の原則で最も重要なのは、需要者が任意に好きなものを購入できること、そして供給者が任意に好きなものを生産できるという、需給双方の任意性。ところが、こと労働に関しては、これが供給側に関して成り立っていない。今日産科医が足りず、その需要逼迫が産婦人科医の給与を高騰させているとしても、今日皮膚科医だった医者が明日産科医になるというわけには行かない。今日税理士だったものだったら、もっといかない。

皮膚の細胞を心臓移植に使えないのと、全く同じだ。

もしかして、我々は子供のころES細胞だったのかも知れない。しかし大人になり知識と経験を積むにつれ、専門化が進んで行く。そして失業の心配をする頃には、専門性とひきかえに全能性は失われているのだ。もちろんいくら専門化が進んでるとはいえ、人間は単能ではない。努力すれば中卒の私が弁護士や医師になることは不可能ではない。

しかしそのための費用と時間を、労働市場モデルは捻出できるのだろうか?なぜ御手洗社長をはじめとする経団連の皆さんが吊るし上げられているかといえば、「労働変換コスト」を無視するか、あるいは外部不経済として労働者側に押し付けようとしている、少なくともそう見られているからだ。

確かに日本や欧州の労使関係は硬直すぎて、労働のさらなる流動化は必須だと思われる。しかし完全流動化は我々がES細胞でない以上不可能だし、そして流動化コストは非常に高く、そして誰がそのコストを負担するのかを話題にすると、労使とも口をつぐむ。

その意味においても、私はベーシック・インカムに賛成だ。池田さんが言うところの「負の所得税」だが、なんちゃらレトロスペクティブと違って、これに関してはこちらの方がごろがいい。このベーシックインカムは、労働流動化コストの支給手段としても働く。給与差によるインセンティブは減るが、ことインセンティブに関しては、給与は氷山の一角にしかならないことは、私がブログに「うつつを抜かしている」という個人的経験からも、医療がいまだ崩壊に至っていないという社会的現象からも実感できる。

金は何にでも化けるが、人は今の自分と似たものにしか化けられない。

一言で言えば、それだけのことである。

Dan the Multi-talented, not Omni-talented

追記: で、思い出した。私の友人がプログラマーを募集しております。興味のある方は、

To: 
Subject: 弾の友人と働きたい!

でmailください。私のような無品格の人間と公私共々家族ぐるみでつきあっているというだけで、その懐の深さは納得いただけるのではないかと勝手に希望的観測をしております。