この著者の本を評するのは、「狂った裁判官」に引き続き二度目。
前著はとにかく、今度ばかりは狂っているのは裁判官ではなく著者だと言わざるを得ない。
本著「裁判所が道徳を破壊する」は、日本の裁判所がいかに日本の道徳に悪影響を与えているかということを、実例を示して主張した一冊。しかしその実例がorzなのだ。
目次- 第一章 破産免責による道徳の破壊
- 第二章 親殺しの普通化
- 第三章 国歌国旗には尻を向けよ
突っ込みどころはあまりに多く、個人的には本書は「トンデモ本」に分類されるべき一冊だと考えているが、私は本書をそう分類できるほど法を知らない。だからその分類は法をもっとご存じの方にゆだねたいと思う。ここでは、そのうち第二章を取り上げる。
第二章で著者がやり玉に上げているのが、最高裁判所による尊属殺人罪の違憲判決。ご存じない方のために解説すると、尊属殺人罪とは、「親殺し」のこと。
P. 50「尊属殺人罪」と「普通殺人罪」の刑罰を比較すると、最も軽い刑はともに「死刑」であるのに対し、「普通殺人罪」では「懲役三年」です。無期懲役と懲役三年では天と地ほどの差です。「尊属殺人罪」は「普通殺人罪」と比べてはるかに重い罪でした。
その尊属殺人罪に違憲判決が出るきっかけとなったのが、以下の事件。
栃木実父殺し事件1968年(昭和43年)10月5日午後10時ごろ、栃木県矢板市の市営住宅で異様な事件が発生した。
「いま、父親を紐で絞め殺したんです」
相沢チヨ(当時29歳)が、日頃から親しくしている雑貨商を訪れて、そう言うと、その場に崩れ落ちた。驚いた雑貨商はすぐに所轄署に通報。チヨはその場で尊属殺人の容疑で緊急逮捕された。殺されたのは、チヨの実の父親で、植木職人の相沢文雄(仮名/52歳)だった。
取り調べで、長年に渡る父親と娘の性関係が明らかになり、世間を驚愕させた。しかも子どもも3人いるという、常識では考えられない事実が浮かび上がってきた。
最高裁が下した判決は、「普通殺人罪」を適用した上で、情状酌量により懲役二年六ヶ月、執行猶予三年というものだった。私はこれでも重いと思う。実父に強姦された上で子供まで作らされ、やっと仕事を得てそこで知り合った男性と婚約して、その承認を得ようとしたらそれを否定された上でまた犯されて。
この事件の地裁判決は、「普通殺人罪」を適用した上、自らを守るための「過剰防衛」だとして、刑の免除というものだった。これが一番妥当な判決に思える。いや、実はこれとて刑の免除ではあっても有罪ではある。実の父親にここまで「罰せられた」上に国が彼女を罰することこそ、過剰刑罰ではないのか。
著者は、普通殺人罪の適用と量刑に関しては、判決を支持している。
P. 62この事件では、逆に、被害者である父の「反倫理性」こそが強い社会的非難に値するのです。悪いのは、加害者ではなく被害者の方でした。
著者が「道徳の破壊」と言うのは、尊属殺人罪の本事件への適用除外ではなく、一律に尊属殺人罪が違憲だとした最高裁の判断にある。
P. 67「尊属殺人罪」が「普通殺人罪」と比べ重刑とされた理由は、子を育てた親に対する恩義を忘れた子の「不道徳」を強く非難するゆえでした。
この点は、この事件の最高裁大法廷判決も承認しています。「尊属殺人罪」は、子を育てた親に対する恩義を大切にすべしという「道徳」を守るものです。
ところが最高裁は、違法にも「一般論」を振り回し、違憲判決により「尊属殺人罪」を葬り去ってしまいました。国が率先して「尊属殺人罪」が守ろうとする「道徳」まで一緒に否定してしまったのです。
一見正論だ。法を適用しないのと法そのものを廃するのでは意味合いはまるで異なる。「不用の要」というのは、自衛隊のことを考えれば納得が行くところでもある。尊属殺人罪に限らず刑法そのものが、抑止力としての効果を期待されている以上、法がなくなれば抑止力もなくなってしまうというのは自然な考えだ。
だとしたら、なぜ「卑属殺人罪」はそもそも制定さえされなかったのだろうか。私には、尊属殺人罪があって卑属殺人罪がなかったことこそ、法の不道徳としか思えないのだが。もし卑属殺人罪があったら、親子心中はもっと少なくて住んだのではないか?
私は本事件がなくとも尊属加重規定は単に違憲であるに留まらず不道徳だと考える。最高裁の判断も同様だ。しかし尊属殺人罪をはじめとする尊属加重規定が実際に法から削除されたのは1995年。1973年の最高裁判決から実に22年後である。いかに立法が不道徳かつ不誠実だったかが伺える。
それでもまだ、尊属殺人罪の廃止により親殺しが増えたというのであればまだ著者の主張にも耳を貸すのだが、この点において著者はこう書き記すのみである。
P. 68最近も、親殺しがさかんに報じられています。子の親に対する道徳は、今はどうなっているのでしょう?
少なくとも、ずっと遵法的になったのは、統計が示している。証拠がいくらでもあるが、以下を紹介するだけでも充分であろう。
「凶悪犯罪は低年齢化」していない〜子どもに対してせっかちな大人たち (広田教授の「教育も、教育改革もけしからん」):NBonline(日経ビジネス オンライン)「では、凶悪犯罪はどうなのか?」という疑問が出ますよね。次のページの図2は戦後の殺人(未遂含む)検挙者数(※)の推移を年齢層別の人口比で表したものです。PP. 68-69
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正義をつかさどるはずの裁判所が「尊属殺人罪」を葬り去り、学校で「道徳」を教えることすら抵抗が大きい現状では、「人間みな平等」とうそぶきながら平然と親を殺す狂った若者に対する歯止めは、永遠に失われてしまったとしかいいようがありません。
正義を主張するのが生業のはずの元判事文筆家が統計を無視し、裁判員制度の実現すら抵抗が大きい現状では、「正義をつかさどる」とうそぶきながら平然と風評で物的証拠を殺す狂った法曹に対する歯止めは、永遠に失われる以前にはじめから存在しなかったとしかいいようがありません。
Dan the Layman
>そんなことが通ったら「法治主義」もへったくれもなくなってしまうと思うのですが。
まったくです。
井上氏はどうやら古い道徳に成文法以上の地位を与えたがっているようです。そのために立法理念を独自の道徳から憶測しているようです。
とはいえ、うろ覚えて書いていますので、今度書店で立ち読みして確認してきます。