そうならないために私はどうしているかを書いておくことにする。

知識の呪い - シロクマ日報 [ITmedia オルタナティブ・ブログ]
知識を身につけてしまうと、それが「当たり前」のこととなってしまい、同じ知識を共有していない人々の気持ちが分からなくなる -- 結果として、その知識を他人に伝えることが難しくなるというのが「知識の呪い」。

英語で言うと、"how to unlearn"ということになる。

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作り手は知識を蓄えつつ、この呪いと戦わなければなりません。

データを消去できる電脳と違って、人間は知識を「忘れる」ことは出来ても「捨てる」ことは出来ない。過去に戻って人生やりなおしたいと思うことは誰にでもあるけど、それが出来ないことを嘆いても仕方がないことだし、仮に出来たとしても、それは「悪いこと」だけではなく「いいこと」まで捨ててしまうことになる。

知識そのものが呪いなのではない。心にその知識が居座ることで、新しい経験の場所がなくなってしまうのが呪いなのだ。

それであれば、その知識に「どいて」もらえばいい。そして必要な時にいつでも「来てもらえる」ようにすればいい。そうすれば、その知識は「呪い」ではなく「使い魔」になってくれるだろう。

その意味で、unlearnというのはunloadに似ている。あくまでunloadするのであって、必要な時にreloadできるようにしておかなければ意味がない。

そのためにはどうすればいいか。知識を「他者化」すればいい。どうすれば「他者化」されるか。「産めば」いい。知識を「孕んだ」ままにせず、充分育った知恵は、「知宮」から「外に出て」もらうのだ。そうして産んだ知識は、子という「別人」になり、必要なときにいつでもあなたを助けてくれる使い魔となる。

具体的に「知識を産む」というのは、何かを出力することを意味する。作品にする。blogにする。こうして外に産んだ知識というのは、不思議と心に居座らず、それでいて必要な時に「来て」くれる。

私なりになぜそうなるのかという理由を考えると、一つは、そうすることにより「忘れてはならない」という強迫観念から解放されること。いったん「記録」にしてしまえば、あとはその記録があることだけを記憶しておけばよい。

そしてもう一つが、「産んだ」ことによる達成感と、それにより「知宮」が空になったという爽快感。知識というのは、得る過程は楽しいけれども、得てしまったことによる満腹感からは逃れられない。それをリセットするには、結局のところ何らかの形で「出さなければ」ならない。

もう何千年も前から「日の下に新しきものなし」という人は少なくないし、実際世の出された作品の多くが「新しくないもの」かも知れないが、実のところその知識が「今までなかったもの」かどうかは、知識を使い魔とするにあたっては問題にはならない。

「もうあの本に書いてある」「このURLと同じこと書いてある」。多分そうなのだろう。しかしそれは他者から見た場合だ。自分にとっては、たとえ凡庸な「子」とはいえ「我が子」なのである。「それって○×の焼き直し」という奴には、こう言い返せばよい。

「君の存在そのものが両親の焼き直し」

Dan the Unlearner