早川書房より献本御礼。

数式アレルギーがある人には最高の不確定性原理本。

しかしそれをなんで不確定性原理で、と思わずにもいられない。

本書「そして世界に不確定性がもたらされた」は、不確定性原理をめぐる三人の主人公たちのドラマを軸に、不確定性とは何なのか、そしてそれが世界の見方をどう変えたのかを、一本の数式も用いず紹介した本。

目次
  • 序章
  • 第一章 過敏な粒子たち
  • 第二章 エントロピーは極大を目指す
  • 第三章 不可解な現象 -- 大いなる驚異の対象
  • 第四章 電子はどのように決断するのか
  • 第五章 前代未聞の大胆さ
  • 第六章 知らないほうがうまくやれるという保証はない
  • 第七章 楽しいわけがあるものか
  • 第八章 靴屋になったほうがまし
  • 第九章 考えられないことが起こった
  • 第一〇章 かつての体系の精神
  • 第一一章 決定論を放棄したい
  • 第一二章 ぴったりの言葉がない
  • 第一三章 ボーアの恐るべき呪文のような用語の繰り返し
  • 第一四章 もう勝負はついた
  • 第一五章 科学的経験ではなく人生の経験を
  • 第一六章 まぎれのない解釈の可能性
  • 第一七章 論理学と物理学の境界領域
  • 第一八章 ついに無秩序に
  • 終章
  • 謝辞
  • 原注
  • 参考文献
  • 訳者あとがき
  • 本書はどちらかというと物理学の解説書というより、物理学者ドラマではあるが、著者が天体物理学の博士号を持ったサイエンスライターということもあり、物理学の解説としてもかなりイケている。特に数式ではなく言葉で現象を説明することにかけては、数ある科学啓蒙書の中でもトップクラスなのではないか。

    だからこそ、もったいないのである。ΔxΔp≧ħ/2 がどこにも登場しなかったことに。

    見ての通り、この式の構造は、さらに有名な E = mc2よりも単純だ。ベキ乗もないので、タグを使わずにベタテキストでもきれいに書ける。量子力学というと難しそうな(そして実際結構難しい)数式がごまんと出てくる印象があるが、その中でも最も驚くべき不等式が、物理学に出てくる数式の中でも一、二を争う単純な構造をしていることは、やはりどんな文章より数式そのものの方が雄弁に語るのだから。

    それでも、この単純な原理がどれほどアインシュタイン、ボーア、そしてハイゼンベルグを悩ませたかという、物理学者たちの心の「不確定性」はびしばし伝わってくる。

    404 Blog Not Found:書評 - 無限の果てに何があるか
    個人的には、不完全性定理を、20世紀最大の発見だと思っている。その次が不確定性原理で、相対論は三番目。なにしろ不完全性定理は、数学の限界を、そして不確定性原理は物理の限界をまざまざと見せつけたから。

    このうち不完全性定理は、あっという魔に数学者たちに理解され、共有され、世界に広まった。数学は「完全化」出来るという立場にたち、それに向かって邁進していたヒルベルトやラッセルも、不完全性定理はすぐさま認めた。自らのライフワークを否定されたも同然なのに。

    しかし、不確定性原理の方は、物理学者たち自身がそれを認めて受け入れるようになるまでかなりかかっている。アインシュタインは最後まで認めなかったし、ボーアはその後ますます混沌となった。そして今でも、不確定性原理の解釈を巡っては、「ハイゼンベルグの顕微鏡」にみられるように、今でも別の見解がある。

    不確定性原理は、その解釈もまた現時点では不確定と言った方がいいのだろう。不等式の右辺が0でないのは、まるで物理学者たちの不安もまた0になりえないかのようである。

    それでも、ありがたいことに、ħ/2というのはものすごい小さい数字である。おかげで量子力学に気がつくのが遅れたともいえるし、人間サイズの日常があまりに不確定ということも避けられている。なんと絶妙なさじ加減なのだろう。

    本書を読むあなたにも、この小さな、しかし決してゼロではない不確定性がおとずれますように。

    Dan the Uncertain Blogger

    追記:titleタグにのがあるとSafariで文字化けするということで、表題のみℏ = h/2πで置き換え。