断言します。

プログラミングを知らずしてコンピューターを使うのは、エッチを知らずして人生を語るのも同然だと。

確かに、人生においてセックスは必ずしも必要ではありません。「童貞が許されるのは、小学生までだよねー」などというふざけたマンガがありましたが、そんなことはありません。むしろそれを誇りにしている人(例えば山本一郎氏)を私は尊敬すらしております。

しかし、ほとんどの人は、年頃を過ぎればセックスをしたくなるものですし、セックスをしているものです。日本人は世界で一番回数が少ないというコンドーム屋の統計もあるみたいですが、重要なのは回数の多寡ではなく、それが多くの人にとって人生の一部となっているということです。

本書のねらいは、コンピューターユーザーにとってのプログラミングを、男女にとってのセックスと同じように人生の一部として楽しんでもらうということです。あなたは単なるユーザーとして、人の作ったプログラムを使い続けることもできますし、実際パソコンの前で過ごすほとんどの時間はそうしていることでしょう。私もそうです。しかし、プログラミングを知っているのと知らないのでは、コンピューターの楽しみ方が一段と違ってくるのです。どう違うかは、本書を読み進めるうちに実感できるでしょう。

ところで、セックスにもプロフェッショナルがいるように、プログラムにもプロがいます。セックスの方は「プロ」スティテュートと言いますが、プログラムの方はプログラマーと言います。あなたは、コンピューターを扱うに当たってプログラマーになる必要があるでしょうか?

もしそうだとしたら、セックスを扱うにあたってはプロスティテュートになる必要があることになっちゃいます(合法非合法はさておき)。もちろんそんなことはありません。セックスにおいて大事なのは、それを理解し楽しむことであって、誰と何回するということではありませんよね。

プログラミングも、またしかり。大事なのは、プログラミングという行為があり、それがコンピューターをただの計算機を「魔法の道具」にしていて、そしてその魔法が実は誰にでも唱えることが出来ることを知った上で、簡単な魔法なら人に頼まなくても自分で唱えられるようにすることなのです。

はじめからうまくできなくてもいい

のっけからセックスの話で引いた方もいらっしゃるかと思いますが、それには理由があります。プログラミングというのは実にセックスに似ているのです。

まず、セックスが愉しみのための行為であるのと同時に、産み出すための行為でもあること。プログラミングもまた、愉しむ行為であると同時に「作品」を産み出すための行為でもあります。

そしてなにより、セックスが回数を重ねないとなかなか上手にならないのと同様、プログラミングもまた回数を重ねないと上手にならないものであるということ。特に、はじめての時はそうです。はじめての時は苦痛を伴うものです。女性は言うに及ばず、男性もまた彼女をイカせられないという痛みから逃れるのは難しいでしょう。

プログラムも、やぶからぼうにただ書いても、なかなか動きません。なにしろ、相手はコンピューター。異性どころか異物です。プログラムを書くというのは、実はうまく行かないことの繰り返しです。私は嘘はいいません。セックスでみじめな思いをするように、プログラミングにもみじめな思いはつきものです。

それだけに、狙い通りのプログラムを書けたときの気持ちというのは得難いものがあります。この快感は、冗談抜きで「イク」ことに匹敵するのです。オーガズムを知らないで人生を過ごすのがもったいないなら、プログラミングを知らないでコンピューターを使い続けるのもまたもったいないとは思いませんか?

プログラミングへ、ようこそ。

Dan the Programmer