永遠の中学2年生、小飼弾です(笑)。といっても、本当の中二の頃は眼鏡も髭もなかったのだけど。

2007-10-12 - ひがやすを blog
これには、明確な理由があります。日本人の特にソフトウェアにおける「舶来信仰」をぶちこわすためです。
Matzにっき(2007-10-13)
ひがさんって前にも似たようなことを書いてたよね、確か。 日本にこだわりがあるんだなあ。
おごちゃんの雑文 ? Blog Archive ? 無理して巣立つこともないでしょう
真に価値があるなら、一生懸命宣伝しなくても向こうから使いに来るだろう。

これを読んで唐突に思いついたので。

以下、中二らしく一人称は「僕」でお届けします。

僕が言いたいのは二点。

一点目は、「海外進出」の意味が、僕が本当に中二だった頃と今ではまるで意味が違う、ということ。僕が中二だったころ(実ははじめて合州国に行った年でもある)、海外進出というのは物理的かつリアルな行為だった。それは「日本脱出」と同義語で、「海外に行きたい」というポジティブかつアクティブ理由もさることながら、「日本にいたままでは生きていけない」というネガティブかつパッシブな理由も大きかった。少なくとも僕が中卒のままBerkeleyに行ったのはそれが理由。1980年代終わりの日本に、僕が生きていける場所はなかった。

だけど、今では日本に居ながらにして海外進出が出来る。Rubyもそうやって海外進出した。少なくともMatzさんは日本どころか松江を脱出せずとも海外進出を果たした。ネットがそれを可能にした。もちろん進出度が高まれば、海外出張する(羽目|機会)も増えるけど、それでも日本を捨てる必要はもはやない。

Matzさんが海外進出を薦める、というより「海外進出は怖くないよ」と言っている理由は、まさにそれじゃないか。

とはいっても、Rubyが海外進出をはじめた世紀の移り変わりの頃は、まだ

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真に価値があるなら、ドキュメントが日本語だけでも海外の連中は何とかする。

というところまでは行っていなかった。海外進出するのに日本を捨てる必要はないけど、英語力は必要。それもMLで丁々発止できるぐらいの。そこでは「正しい」英語力はそれほど必要じゃないけど、「強い」英語力は必要。僕はMatzさんの英語講演を何度か聞いたけど、Matzさんの語りはすごい「強い」。あのかわいい顔からどうしてという感じで、まさに東洋というか山陰の神秘:)

ところが、今やその英語力すら、かつてほど求められていないのはアニメオタクたちを見ればわかる(Larryもそうだ)。極論してしまえば、それをネットに公開した時点で、世界進出しているといっても過言ではない。まあ英語ページぐらいは用意した方がいいけど。

その意味では、Seasarはすでに海外進出しているといってもいいんじゃないか。

そして二点目。

2007-10-12 - ひがやすを blog
自分たちであまり考えることなく、海外ではやっていたらそれをそのまま受け入れる傾向が、日本人には強いように思えます。それっていいことだとはあまり思えません。

僕はこれははっきりNoだと言える。もし「自分たちであまり考えてない」なら、なぜ

John Resig - Speaking in Tokyo
As a side note: Shibuya.JS is the only JavaScript user group that I know about - really anywhere in the world.
[余談だけど、Shibuya.JSは僕の知る限り唯一のJavaScriptのユーザーグループ。ほんと、世界で唯一の]

なのか。

あるいは逆説的に、なぜSeasarはJavaという舶来物の環境をベースとしているのか。ひがさんには申し訳ないのだけど、上記の主張は輸入もののうなぎでこさえた蒲焼きに舌鼓をうちながら「やっぱり食は和に限る」というぐらい滑稽に聞こえる。

僕が日本とてつもねぇと思うのは、どう海外とつきあうのかという点。「そのまま受け入れて」ないんですよ、これが。いらないところは華麗にスルーして、いいところはもっとよくしちゃう。日本語自体、字は中華帝国から借りてきて、足りてなかった「かな」を追加したわけだし、それはRubyというプログラミング言語も同じ。材料は借り物なのに、見事「和」になっている。

これって、UnixとBSDの関係にとても似ているんだよね。BSDがなければUnixが今の姿になることはなかったし、BSDを通すことでlinuxも生まれ。そういえば日本は*BSDが強い地域でもあるのは偶然かしらん。

「海外発日本経由再び海外へ」というのは、実はいろいろなところにかなりある。以外な例だとQueen がそうだったりする。世界でヒットする前に日本でヒットしたんだよね。

日本の人は、自分達の審美眼をもっと信じてもいいんじゃないかな。というか、この消化力と審美眼こそ、日本の「こあこんぴたんす」じゃないんでしょうか?

Dan the Japanese by Accident who Lives in Tokyo by Choice