実は本書の内容に関する私の感想は、池田さんのそれとほぼ一致する。

池田信夫 blog ウェブ時代をゆく
年をとると、本を読むのが速くなる。書いてあることの大部分が既知の話なので、飛ばして読めるからだ。逆にオリジナルな学術書は、1冊読むのに1ヶ月かかることもある。だから私の場合、本の価値はそれを読むのにかかった時間にほぼ比例する。

それでは、なぜ

404 Blog Not Found:一識者から梅田望夫へ - 書評 - ウェブ時代をゆく - 会社員さんのコメント

この本に対する見解が池田さんと弾さんでは180度違っているように感じられますが、それはどうでもよろしい。
私が興味深く思ったのは「この見解の違いはどこから来るのか?」です

なのか。

私と池田信夫(ここから敬称略)が最も異なるのは、最後の一行だ。

池田信夫は、本に「自分の知らないこと」を期待している。だとしたら、すでにblogまで立てている人々にとって本書は「ありきたり」以外の何者でもない。

それに対し、私が本に期待しているのは、「自分が見ていない角度」である。それが既知か未知かは二の次というより、むしろ既知のものの方がその対象を別の角度から見たことがあるだけより楽しめたりもするのだ。

梅田望夫は、それを"Vantage Point"として紹介している。

p. 098
三つ目が「Vantage Point」(バンテージ・ポイント)だ。これはシリコンバレーの投資家ロジャー・マクナミーの言葉である。若者のキャリアについて私と話をしていたときにロジャーは「若者はバンテージ・ポイントに行くべきだ」と言った。「バンテージ・ポイント」とは「見晴らしのいい場所という意味。その分野の最先端で何が起きているかを一望できる場所のことである。

私が本に期待しているのは、これなのである。

なぜか。

本で最新知識を学ぶのは二十... - キモーイ キャハハハハハハ - はてなセリフ

もはや新しいことを本から学ぶことは不可能に近いからだ。その傾向はWebどころかTVどころか新聞の時代からあったが、まだその頃は視点の数が少なすぎて、これらの「本より速いメディア」が見落とす「新しいこと」はあまりに多かった。

ところが、今や新しいことは、新しいことを見つけた人が真っ先にネットに上げる。MLに流す。blogに書く。Webに上げる。もはや本では間に合わない。ギークの世界ではすでに15年前からそれが常識となっていたが、今やそれがありとあらゆる分野に及んでいるのだ。

そういう時代における本の役割とは一体何か?

それを示したのもまたギークだった。

Perl, the first postmodern computer language

Modernism is also a Cult of Originality. It didn't matter if the sculpture was hideous, as long as it was original. It didn't matter if there was no music in the music. Plagiarism was the greatest sin. To have your work labeled ``pastiche'' was the worst insult. The only artistic endeavor in the Modern period not to suffer greatly from the Cult of Originality was architecture. Architecture went in for simplicity and functionalism instead. With the notable exception of certain buildings that were meant to look like Modern art, usually because they contained Modern art. Odd how that happens.

The Cult of Originality shows up in computer science as well. For some reason, many languages that came out of academia suffer from this. Everything is reinvented from first principles (or in some cases, zeroeth principles), and nothing in the language resembles anything in any other language you've ever seen. And then the language designer wonders why the language never catches on.

No computer language is an island, either.

In case you hadn't noticed, Perl is not big on originality. Come to think of it, neither is Linux. Does this bother you? Good, perhaps our culture really is getting to be more postmodern.

Larry WallがこのスピーチをLinuxWorldでしたのが1999年。世間がWebをモダニストの視点で捉えていたとき、ギーク達はポストモダンを見つけていたのだ。Linuxは、ギーク達にとってオリジナルではないが「気持ちのいい」ものだった。Perlもしかり。LispersとAlgolistsにとって、この世に新しいものなのもはや何もないに等しかったのだから。

それでもPerlは「面白くて気持ちがいいもの」として受け入れられた。そしてそれ以外にも「面白くて気持ちのいいやり方」がありうることをRubyが示した。

例えば、私は「不完全性定理」に関する本を、少なくとも過去にこれだけ紹介している。

もし本の役割が「不完全性定理の理解」であれば、このうちのどれか一冊だけで事足りる。いや、岩波数学事典があればいい(ちなみに私は第三版を持っているが、第四版を買うべきか迷い中。両方使ってみた方の感想募集中)。しかし、不完全性定理をどう見ているかという点において、これらは全て異なり、そしてそれらの別々の視点があることによって、その理解はより深まる。

留意して欲しいのは、ポストモダニズムというのはモダニズムの否定ではなく、モダニズムを内包していることだ。だから「新しいことの書いてない本など無価値」というのは一つの立派な意見である。ポストモダンなモダニストというのは、ギークの世界にも存在する。言語で言えばPythonなどがそれに相当するだろう。

その意味において、池田信夫というのは見応えがあるVantage Pointであり、梅田望夫というのもまた行ってみる価値のあるVantage Pointであり、そして「ウェブ進化論」よりも「ウェブ時代をゆく」を私がより高く評価するのは、前著ではまだ「新しいことを紹介する」姿勢が強かったのに対して、本著では「新しいかどうかはさておき、これがオレの視点」という姿勢を強めたことにある。

本blogの読者であるあなたにとって、小飼弾はどんなVantage Pointなのだろうか。

小飼弾の自宅は、こんなVantage Pointだ。その光景は実に見慣れたものだが見飽きない。

Dan the One of the Vantage Points