どうやら「好きを貫く」のに、遅すぎるということはないらしい。

それを証明したことこそ、瀬川晶司の快挙。

本書「後手という生き方」は、「プロ棋士になるためには、奨励会で26歳になるまでに四段になる」というルールを61年ぶりに破った著者が、棋士でない読者のためにそれがどんなことであるかを語った一冊。

目次
  • はじめに
  • 第一章 「後手」にも強さがある
  • 第二章 「プロ」には誰でもなれる
  • 第三章 プロの執念
  • 第四章 トップに立つために
  • 第五章 プロとアマチュア
  • 第六章 将棋の未来
  • 対談 「後手番」棋士と二十歳で頂点に立った「先手番」天才棋士が語る「本物のプロ」とは?
  • P. 2
    将棋には先手と後手がある。
    しかし将棋は先手必勝ではない。

    実はこれは理論的には間違いである。将棋や碁といった「二人零和有限確定完全情報ゲーム」には、必ず必勝法が存在することがすでに知られている。三目並べ(tic-tac-toe)は必ず引き分けに持ち込めるということが子供にもすぐ理解できるし、映画「ウォー・ゲーム」ではそのことがちょっとした伏線になっている。ちなみに6x6盤オセロは後手必勝なのだろうだ。

    しかし、実際の将棋は、どうやら「二人零和有限確定完全情報ゲーム」とは少し違うようだ。ルールのみを遵守し、持ち時間に一切の制限がない「神の将棋」は二人零和有限確定完全情報ゲームであるが、実際の将棋は人どおしが、有限の持ち時間で争う。著者の指す将棋は、そのような将棋であり、そしてその世界であれば「先手必勝ではない」も真実となりうる。

    もちろん、「先手必勝ではない」は「後手でも楽」だということは一切意味しない。

    P. 98
    名人四期の森内俊之さんも以前あるインタビューでこう語っていた。
    「先手番のときは将棋盤と戦い、後手番のときは相手と戦う」。

    言い換えれば、将棋盤とのみ戦うのが「神の将棋」であり、著者は神の将棋における人間界の代表の一員、すなわちプロ棋士となることに一度失敗し、プロ棋士を諦め、プロ棋士をめざしていた頃の資料などは全て一度処分したそうだ。その著者がどうやって再びプロ棋士をめざし、そしてそれを成したのかは是非本書で確認していただきたいが、一番の理由は「還俗」することで「将棋は人と指すゲーム」だということを改めて発見したからではないのか。

    それにしても、将棋は面白い。ゲームそのものもさることながら、棋士達も面白い。角川Oneテーマはこのことがよくわかっているようで。先日紹介した「ボナンザVS勝負脳」もそうだし、羽生善治の「決断力」もこちら。谷川浩司に至っては、「集中力」に続いてつい先月「構想力」をそこから上梓している。

    「たかがゲーム」のはずの将棋、「たかがゲーマー」であるはずの棋士に、なぜ我々は普遍的にも思える叡智を感じるのだろうか。数学的には三目並べと変わらないはずなのに。私はこのことを常々不思議に思っていた。なぜ「たかがゲーム」に、されど我々はこれほど魅了されるのか。

    それに対する「証明」ではなく「納得」を、私は本書を読んではじめて得られたように思う。

    実は「有限確定完全情報」というのは、「こちら側の世界そのもの」もそうである。メモリーも有限なら、クロックカウントもまた有限。なのにそこに我々は「無限の可能性」を見いだしたりしている。充分大きな有限は、無限と区別が付かないのが我々なのだろうか。

    Dan the Player of the Game Called Life

    P.S. ちくま書房様、早く「頭脳勝負」を供給してくださいませ。Amazonで品切れです。私は予約していたので手に入れることが出来ましたが。供給再会次第書評します。