それでは遠慮なく。
理系の女の子の取扱説明書 - 毛の生えたようなもの私は議論が大好きなので、大いに叩いてください。全然しらないひとだからといって臆する必要はないです。
何で寒気がするんでしょうか。
それは初歩的なことをわざわざ他人に教えられるのが嫌だから。嫌というか単純になれていない。もっと端的に言えばプライドが高いのです。
その程度のものを「プライド」と呼べるのが若さの特権か。
四年制旧帝大国立大学にいくレベルの学力があれば小学校・中学校と進む中でクラス・学年の成績の1番・2番キープは当たり前のはず。ものごころもついて、自分の見た目にもこだわりはじめる、もっとも女の子らしく生きるべき小学校・中学校の時期、まわりの男の子よりも出来がよいと何が悪いか。
その四年制の旧帝大に、「東大入試データのページ」東大だけで3000人以上が入学し、うち理系に限っても1,800人。高校生までのトップのあなたなど、大学の中では何千分の一に過ぎない。それがどれくらいありふれているかというと、中卒の私がアゴで使える程度の人員を確保できるほど。
とはいえ、そのことを理解ではなく実感できるのは、実際にそういう場に立ってからだというのも事実。井の中の蛙は、いつか井戸の外に出て空の広さを知るが、空の青さを知るのはおたまじゃくしでなくなってからでいい。
問題は、井戸の外に出ているのに、まだ尻尾を引きずっている場合と、その逆のまだ手足も生えていないのに外に放り出されるケース。実は後者の方が今ではよほど深刻に思えるのだけど、本entryでは前者に話を絞って話をする。
こういう幼少期の「プライド」が本物のプライドに化けるためには、一度「プライド」は徹底的に破壊される必要があるのかも知れない。私にとって、それが大学だった。
こういうのも何だが、私の「プライド」はあなたのそれよりもさらに強かったように思う。「学力」という点では学校一、二どころか、中学を卒業させられる頃には高校で履修する科目は全部終わっていた(ので私は大検を15で取った)。東大程度じゃ私の「プライド」は満足しないと本気で思っていた。大検を通ったことだし、そのまますぐに年齢制限のない合州国の大学に行こうと決意して、書類をよこせと文部省(当時)に言ったら、「書類は満18歳になる年度開始まで出せない」と言われた。そのことは「日本になんていられねえ」という私の気持ちをさらに強くした。
その結果、私は大学行きをしばらく待たされるのだが、その間も「プライド」がさらに高くなることに事欠くことはなかった。塾では年上の受験生を教えていたし、そこでの稼ぎもあったので「他は金払って受験勉強しているのに、私は金をもらっている」という気持ちも多々あった。
そして、待ちに待った入学。そこで、私はやっと自分が「ありふれた蛙の一匹」に過ぎないことを自覚した。私がいた学校は、そこだけで日本人全員のノーベル賞受賞者よりも多いノーベル賞受賞者が在籍していたようなところで、「すごい人々」がふつうにごろごろしているようなところだった。教える方も教える方なら、教わる方も教わる方で、ベトナム戦争で一家で移住してきて一名を取り留めた奴とか、私も聞いたことがない内乱で一家で亡命しようとしたが、生き残ったのは彼/女だけだった奴とかがごく普通にいた。そこには私なんぞ比較にならないほど悲惨な境遇で育ち、そして私なんぞ比較にならないほど優秀な人々が溢れていた。
そうして私の「プライド」が一度「しっぽ」とともに粉々になってから、プライドを培ってくれたのは、やはり「すごい人々」だ。彼らは実に他愛のない、英語で言えば"stupid questions"とでも言うべき質問をほんと気軽に問いかけてくる。しかし、気をつけなければならないのはそこで凡庸(mediocre)な答えをしないこと。そうした場合、彼らはすぐに「こいつは語るに足りぬ、つまらない奴」という判定をする。結果としてその答えが間違っていても構わない。それが真摯なものであれば、「見所のある奴」に変わるのだ。
そうやってやりとりを続けるうちに、時には"good questions"を問えるようになる。そうやって少しづつ目が開き、括弧抜きのプライドを得かけていたときに、実家が全焼して私は中卒となった。
しかしその時には、括弧抜きのプライドがどんな形をしているのかを私は「つかんで」いた。そこで学んだTCP/IPの知識や技術もさることながら、あの「人民狂和国」で私が得たもので一番大きかったのが、これである。そしてこれは、大人になってからシリコンバレーをめざす人にも共通していると思う。
彼らはちょっとした質問を躊躇する程度の「プライド」が括弧付きのものであることを痛感しているから、その括弧を破壊してくれる場を求めてそこに行くのだ。
もっとも今では、「そこ」がシリコンバレーであるかどうかという疑念も確かにある。同じことはウェブ上だって可能だし、実際そうしている人々がたくさんいる。「あちら側」であれ「こちら側」であれ、そいう場がどこかにあり、そういう場に行く必要がある時に行ければいいのだ。
「男の子に頼れなくなる」のです。
これこそ、まだあなたが「女」ではなく「女の子」である証拠。そして「プライド」の高い女の子が惚れるような「男」は、残念ながら「女の子」には見向きもしない。そういった男が惚れるのは、本物のプライドを持った「女」。「女」は時には「女の子」のように甘えてくるが、そんなことでは崩れない本物のプライドを持っているから、それが出来る。女の子は女の子でしかないが、女は女の子として振る舞うこともできる。
このことは、男女を入れ替えても成立するのではないか。
少なくとも、id:lovecallは私の目から見て女、である。それがセクシストな言い回しというのであれば大人、と言い換えてもよい。
確かに「理系女子」であるということは、「ありふれた感」を得て「プライド」を壊すのが「理系男子」より難しいというのは確かだろう。絶対数において少ないのだから。しかし、それは「女の子」に逃げていることでしかない。
まずは「大人」になることではないだろうか。男女という属性について語るのは、その後でかまわない。
Dan the Man
ブサイクだって〜
GEEKの中では元気なの♪