ひさびさのニコニ考、今度は私が一番気になっている点を考えてみる。

プログラムからプログラムを生み出し続けるオープンソースプログラマーたちと、同じく作品からまた作品を生み出し続けるニコ厨たち。その違いは何なのか。

オープンソースプログラマーとニコ厨の一番の違い。それは、オープンソースプログラマーが、誰が何を作った、あるいは作り直したかがはっきりしているのに対し、ニコ厨の場合は、誰が何を作ったのかが簡単にはわからず、そしてそのことをニコ厨たちはあまり気にしていないようだということ。

オープンソースプログラマーにとって、これはかなり驚くべきことなのだ。

違いを語る前に、まずは似ている点をおさらいしておこう。オープンソースプログラマーとニコ厨、この二者は、かなりの部分で似ている。まず、作品から別の作品を作るというところが似ている。実のところこれはオープンソースでなくとも、およそ作品というのは別の作品の「組み立て直し」なのであるけれど、オープンソースの場合、特にこれが顕著だ。

なぜ顕著かといえば、オープンソースにおいては、コードという「結果」だけではなく、そのコードが変わっていく「過程」もオープンになっているからだ、というのがその一番の理由だと思われる。念のために繰り返すが、それが「オープンソース」であるためには、結果だけではなく過程もオープンになっていなければならない。結果だけオープンかつフリーで手に入るものは、「フリーソフトウェア」と呼ばれるべきである。

ニコニコ動画の諸作品も、この点は共通していて、ある作品がどういう変遷をとげていくかは比較的簡単に追うことができる。確かにオープンソースプロジェクトで使われているsvnやtracのように系統だって追うための機構は用意されていないが、そのような機構が不要なほど、作品の変遷を追うのは簡単だ。あまりに簡単なので、どうやって追うのか説明不要なぐらいである。RC2で「オススメ」タブがついたので、この作品の変遷を追いかけるという作業は今までになく簡単になっている。

これで足りないというのであれば、「やってみた」タグがある。これは「歌ってみた」「踊ってみた」「演奏してみた」の総称であるが、特に「描いてみた」タグの諸作品では、ボブの絵画教室のように、描き終わった結果だけではなく、それを描いている過程も公開されていて圧巻である。

このように、作品という結果だけではなく、作品の変遷という過程も公開されているという点において、ニコニコ動画とオープンソースはかなり似ているのであるが、前述のとおり、「それでは誰がその作品を作ったのだ」ということを知ろうとすると、とたんに大変になる。

例えばニコニコ動画では、作品は全てhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm数値というURIに集約される。URIを見ても作品は識別できるが、作者は識別できないのだ。

もちろん、まるきり不可能ということではないし、優れた作品にはその作者に名前が与えられることすらある。

404 Blog Not Found:匿名に関してそろそろまた一言言っとくか
ここで留意しておきていのは、「いさじ」や「ゼブラ」はさておき、「フーミン」、「内緒妹」、「ガチ姉」そして「ニコ姫」は、本人たちが名乗ったのではなく、作品を見た視聴者たちが名付けたこと。

しかし、これらの作品には作者名がすぐにわかるところに提示されているわけではなく、誰が作者なのかは実際の動画を見てみないとわからないし、見たところでさまざまな作品がマッシュアップされているので「作者達」を振り分けるのはかなり難しい。少なからぬ作品にエンドロールがついていて、そこに作者名が書いてあることもあるが、いずれにせよ作者名という最も重要なメタデータがすぐに取り出せないようになっている点に注目して欲しい。

これはblogと比較してもかなり異なる。blogにおいてはhttp://blog.livedoor.jp/dankogai/とか、http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/だとか、URIを見ただけで作者が誰なのかすぐにわかるようになっている。http://blog.tokuriki.com/のように、URIどころかドメイン名を見ただけで明らかな場合も多い。

オープンソース--ここではblogなどのオープンコンテンツも含めた拡大解釈をするが--においては、作者名というのは最重要のメタデータで、「中身」を全部みなくてもすぐにわかるところに提示されているのが常識なのだ。ところが、ニコニコ動画ではそんなオープンソースの常識が非常識。私は「組曲」の作者が誰かすら知らないのだ。「猫鍋」の作者が誰かを調べて取材したNHKは立派だが、NHKでもなければそこまで調査すらしないだろう。

オープンソースにおいては、「名前を売る」というのが最も重要な「隠れた収益」になっていることも多い。もちろん某国の選挙のように「断固害をよろしくお願いします」とやるわけではないが、オープンソースを利用しようとすれば、その作者の名前はいやでも目に飛び込んでくる。私自身がこの生きた証拠で、Jcodeがなければ堀江さんが私をCTOに招くこともなかったし、EncodeがなければOSCONに招かれることもなかった。そして本blogがなければ、アフィリエイトだけで食えるほどの収益があがることもなかった。

ところが、ニコニコ動画のうp主たちは、自分の名前が売れなくても喜んで作品を投稿している。少なくとも私にはそう見える。名前がないと困る場合には、あだ名が進呈されるけれども、それはあくまでも「他者がその人について語るため」のものではあっても、「その人にコンタクトを取る」ためのものではない。投稿者の特定が不可能とまでは言えないのは、「猫鍋」のケースで明らかではあるが、それにしても手間がかかり過ぎて、「ニコニコ動画で優れた作品を見る」ことはあまりに容易なのに、「ニコニコ動画で優れた作者を見つけよう」というのはあまりに敷居が高いのだ。

それでも、うまく行っているのである。

別の力学が働いているとしかいいようがない。

その力学が一体何なのか。ここまで書いてもう時間がなくなった。もう出かけなければ。というわけで続きはまたの機会に。

Dan the (Niconicologist|Open Source Programmer)

追記: スパイダーマッDが懸命に削除されるのは、まさか「自分が何者かを名乗りすぎる男」だからじゃないよなあ....