久しぶりに、タイトルは/^書評/で。
「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」に習って最近では「要約 - 書評 - 題名」にしてきた私だが、見ての通り本書はこれ以上要約しようがないタイトルがついている。
本書「自殺するなら、引きこもれ」は、1969年生まれの両著者が、自らの体験を元に綴った「引きこもりのすすめ」。偶然だが私は著者たちと年齢も同じなら、引きこもりであった(過去形?)ことも同じなら、高校を卒業せず当時の大学入学資格検定 - 今なら高等学校卒業程度認定試験 - を経て大学に入学したところまで同じである。ただし著者たちと違って、私は中退なので、自らの学歴を語る時には「中卒」としている。当時の「大検」が「高認」だったら、高卒を名乗らなければいけないのだろうか。
目次 - 光文社発行の書籍より- プロローグ - 学校から身を守るという、選択肢(本田透)
- 第1章 学校の正体(本田透)
- 第2章 流動化した社会(堀田純司)
- 第3章 フリーターの人でも安心して暮らせる社会を(堀田純司)
- 第4章 孤独力、妄想力がコンテンツ立国を支える(本田透)
- あとがきに代えて(「生協の白石さん」こと白石昌則)
- 謝辞
本書は、現代の学校が、著者や私の「ような」物達にとってどんな場所なのかを説明した上で、引きこもり生活がどんなであるのか、そして学校から引きこもっても人生から引きこもらないためにどんな工夫をしてきたかを語った上で、著者たちの半分程度の人生を歩んできた、現代の「引きこもり適齢期」の子たちにどんな選択肢があるのかを紹介する。
大まかな担当としては、形而上的な部分を本田が、形而下部分を堀田が担当している。なかなかいい組み合わせだと思う。とはいっても、特に本田ファンは「電波男」のほとばしる熱いパトスを期待すると少し肩すかしかもしれない。逆にいえば、本田節が苦手な人でも本書は安心して読めるということでもある。
引きこもりたい子たちもさることながら、その親御さんには必ず目を通していただきたい一冊である。
なぜなら、引きこもりの難易度は、学校との折り合いもさることながら、保護者との折り合いが最も重要な因子だからだ。家に引きこもれなければ、自然と家出となる。私がそうだった。というより私の場合家出と引き換えに「引きこもり権」を親父から確保したところがあるのだが、少なくとも「学校行きません」「はいどうぞ」というわけには行かなかった。さんざん戦った上で、「こいつは何をいっても無駄だ」という「説得」を経て、はじめて引きこもりを公認してくれたわけだ。
その過程においては、実は自殺未遂も何度かある。当時は「完全自殺マニュアル」なんぞなかったから、見事に失敗したので今があるわけだが、当時の私、そして両親はキューバ危機なみの綱引きをしていたのは事実だ。「プロ引きこもり」の母が、「アンチ引きこもり」の父に「勝った」ので私はこんな記事を今書いている。片親がわからずやなだけでも、この程度には大変だったのである。
今や、引きこもりになるのにそこまでの苦労は必要ない。まずはそれを知っておいてほしい。学校も家庭も、今までになく引きこもりに寛大だ。そして引きこもりが活躍できる社会の場もますます増えるばかりだ。「大検」が「高認」になったのだって、立派な進歩の一つ。このままじゃ社会が変になる?いやいや、著者が指摘している通り、「子供は登校するものだ」ということ自体、たかだか20世紀だけの常識なのですよ。
繰り返す。
自殺するなら、引きこもれ。自殺されるなら、引きこもらせろ。
Dan the Survivor
高校の3年で自主体がうをし、まあそれでも大検だけはとりました。
統合失調症を15歳の頃発病し、引きこもりも、自殺未遂も何度となく
やりました。こんだけやっ、まだ死なせてもらえないってことは、まだまだ何か今生でやらなくてはいけない使命でもあるのかとおもいます。
今は、家を出て、単身大阪で暮らしています。
早く死にたいものです。早くお父ちゃんに逢いたいです。