すっかり書評が出遅れてしまった。

私的なことがらを記録しよう!!: 「お金は銀行に預けるな」ブログ書評
「お金は銀行に預けるな」ですが、発売して約1週間、ブログでの書評もいただくようになりました。

それでも書評しておく価値はある。金融リテラシーではなく、リテラシーそのものの本として。

本書「お金は銀行に預けるな」は、今やノンフィクション界のJ. K. Rowlingの感すらある、ベストセラーメーカー勝間和代による金融リテラシー本、に名を借りたリテラシー本。

目次 - 光文社発行の書籍より
  • はじめに
  • 第1章 金融リテラシーの必要性
  • 第2章 金融商品別の視点
  • 第3章 実践
  • 第4章 金融を通じた社会責任の遂行
  • おわりに
  • 【参考文献】

率直に言って、金融リテラシー本としての本書の価値はそれほどない。確かに「投資戦略の発想法」に不足している為替や債権といった金融商品もきちんと取り上げられている点において、他のブログでも指摘されているように本書の方が「おすすめ」であるが、金融リテラシーに関して言えば、質量ともに「金融商品にだまされるな!」の足下にもおよばない。

[を] お金は銀行に預けるな
面白かったのは住宅ローンと銀行の関係の話。
[引用略]
なあるほど。目から鱗。

この話も、すでに35年ローンを組んで、1年半後に完済した私には「ふーん」ぐらいの感慨しか抱かなかった。本書で「一番使える」第2章と第3章は、私にとっては実に退屈なものだった。

p. 193-194 (見出しのみ)
  1. 住宅ローンを組まないこと
  2. 車を買わないこと
  3. 生命保険を定期逓減形にすること

はいは〜い(あくび)。実はこの3つのうち、私は上の二つを完全に破り、破ったからこそ今の資産がある。

住宅ローンがなければ20代で不動産を所有することもなかったし、購入-居住-転売のサイクルを通したトータルキャッシュフローはそうしなかった場合よりも大きかったと弾言できる。「ぼったくり」は何も不動産屋だけではない。大家だってそうなのである。違うのは債務者としてムシられるか店子としてムシられるかである。

車を買ったきっかけも、「車が欲しかった」からではなく「公共交通機関に頼れない」状況がきっかけ。当時台場に顧客をもっていた私は、不便だなあと思いつつそこへはゆりかもめで行っていたのだが、ある日仕事がコミケと重なってしまい(しかも私はそれを知らなかった!)、新橋駅で2時間立ち往生してしまったのだ。

もし車もマンションも買わなかったとしたら、私は「金融リテラシー」という井戸の中に引きこもったままであっただろう。

とはいえ、生命保険に関しては、著者と全く同じポリシー。今は私が死んだ場合にちょうど相続税をキャンセルする程度のものに入っている。しかし生命保険に入った理由そのものが、「金融リテラシー」の観点からいっていただけない。当時同棲していた妻を受取人にするのに、一番手軽な方法が入籍だったのだ。森永卓郎ではないが、結婚というのは金融リテラシーの観点からいけば褒められたこととは言えない。ましてや子供とは。この点は著者も「同罪」ではあるが。

と、ここまで書いたところで、もし私が「池田信夫」的に、本の価値を「本に新たな知識を期待する」タイプの読者の一人であれば、「数ある金融リテラシー本の一つ。著者のネームバリューに依った何匹目かのどじょう」で本entryをしめくくっていたところだろう。

しかし、本書を「リテラシーとは何ぞや」という、s/金融//gしたとき、本書を読み進めるのは俄然楽しくなるのだ。リテラシー(literacy)とは何か。「それとつきあうのに必要な最低限の知識と経験を得ること」だとあなたは思っていないか。

違うのである。リテラシーとは、「それについて手前の頭で考え、手前で手を下せるようになること」なのである。なぜ月並みの知識しか書いていない本書に「ムギ畑プレミアム」が付くのか。それは著者が自分の頭で考え、自分の手を下して来たことを、自分の口で語っているからなのだ。

だから、本書が本当に面白いのは、「なぜ金融リテラシーなるものが必要なのか」を説いた第1章と、「その金融リテラシーを何のために使うか」を説いた第4章にある。第2章、第3章は、本書の付録ぐらいに思って構わない。「頭脳勝負」に将棋のルールが書いてあるようなものだ。そこに書いてあることと、自分がやっていることが違っていて不安を感じるようでは、まだリテラシーが身に付いたとはいえないのだから。

Dan the Millionaire by Literacy