id:buyobuyoさんがご立腹のようだが、どちらも怒りの矛先が微妙にずれていてBlue on Blue(同士討ち)状態になっているように見えるので蛇足。
2007-11-21 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!出産育児一時金にこだわっているようだが、そもそも、出産育児一時金は出産しないともらえないわけだが。今回の記事は、「妊婦健診を一度も受けず、生まれそうになってから病院に駆け込む「飛び込み出産」」がテーマで、妊婦健診の時に出産育児一時金は使えないんだけど。いまどきの産婦人科はつけが利くの?
「貧乏人は子を産むな」と言っている人々は、一つ重大なことを忘れている。
子を産むのは確かに親だが、子を育てるのは親だけではないということを。
日本においては、「親は子を産むばかりではなく、育てることに関しても100%権限と責任がある」という社会的空気が強すぎるように思う。少子化の一番の理由は、子供を育てることの意味もコストも変わっているのに、この社会的空気がそのまま取り残されていることにあるのではないか。
はっきり言って、この国は子供の面倒はあまり見ない。これがまだ欧州諸国との比較だけなら、高福祉の代償として高税率があるのだから当然という言い方も出来ようが、一人っ子政策を導入した、いわば建前上は日本より遥かに子供に対して厳しく、社会資本も貧弱ならば親の収入も低い中国と比較してすらそうなのだ。
我々一家は、かつて中国で暮らしていたことがある。まだ次女は生まれていなかったが、長女は当時二歳。外国慣れしている私と違って、妻の方は海外の長期滞在は初めてで、さぞ大変だろうと周囲に思われていたが、実は日本よりもずっと楽だった。食事の時は、店の小姐(シャオジェ)たちが何かと娘をかまってくれるので夫婦で落ち着いて食事はできるわ、保育園は24時間いつでも娘を預かってくれるわで、子供がいても大人の時間を削る必要が実に少なかった。「それは外国人の特権では」というとそうでもなく、私の部下である中国人社員達も、あれやこれやで子供の面倒を社会が見てくれたおかげで、既婚者も独身者も同じように働いていた。それを寂しいというものもいたが、他方で既婚者であることが、特に妻の側の不利にならないという点においては日本とは比較にならないほどの男女同権社会だったように思う。もちろん楽なことばかりでなく、配偶者や子がいるからといって仕事を軽減してもらえないという点においては日本以上に厳しい社会であるのだが。おかげで当時は妻にも仕事を手伝ってもらうことも多く、私の方も楽だった。
日本に戻って来たとたん、この状況は一変する。保育施設は金を出せばないことはないのだが、24時間保育などとても無理。子供を預かってもらう料金が月10万円近くかかっていたこともある。子供にかかる金と手間は格段に増えたのだ。子供が幼稚園に通い出すと、料金こそ下がるが今度は時間の方が増える。日本に戻って来てからすぐに次女が出来たこともあり、今の妻は仕事どころではない。下の娘が来年小学校に上がれば、仕事をするだけの時間も出来るのだろうが、それは三年間隔で子供が二人いたら、仕事の現場から九年間も離れる羽目になることを意味する。仕事が好きな女性にはそれは辛いだろう。
勝間和代さんあたりをスゴイと持ち上げるのもいいが、アレを普通と思ってもらっては世の女性1万人のうち9999人、いやもしかして100万人のうちの99万9999人は困るだろう。妻と同年齢の彼女はすごいと思うが、だからといって私が妻に「彼女を見習え」といったらこれはもう立派にパワハラ認定されるのではないか。
生まれた後ですら、日本においてはこのように親の負担は大きい。夫婦のどちらかは仕事をかなりの程度諦めないとやっていけない。その上子供を生むも堕ろすも自己責任で自己負担。出産育児一時金が出るのは、無事に生まれてからやっとである。我が家の場合、両方とも安産だったこともあって出産費用トータルで見たら「黒字」ではあったが、我が家のケースが平均よりかなり幸運だったのは、幼稚園で他の母達のエピソードを聞けばわかる。出産にまつわる医療費に保険が利かないのは「妊娠は病気ではない」からだそうだが、流産や死産の場合はどうなるのだろう。
2007-11-20 - 1/2 FULLもし健康保険料を払えないほど生活に困窮しているのであれば,子供を作る資格などない。
健康保険料程度で済むなら話は簡単だが、しかしこの理屈だと、現在の生活に困窮していない程度では子供を作る資格など得られないことになる。早い話、それを子供が成人するまで維持することを証明できなければ子供を作る資格はないことになる。要するに、子供が成人するまでは事故で死ぬこともままならないわけだ。
子供のためにベストを尽くす。これは親としては当然のことだ。しかしそのベストとは子を得ることで個を捨てて滅私することなのだろうか。
無責任な大人が多すぎるよ。
そういうあなたは、自らの誕生に責任を持てるのか?その意味において、我々は一人残らず無責任の結果なのである。生まれて来たことそのものに、我々は誰一人として責任を持っていないしまた持ちようがない。我々が責任を持っているのは、我々がいる社会に対してである。そしてその社会が子供に対する責任を全て親に押し付けるというのであれば、親として社会に対して責任を持つ理由がどこにあるのだ。
「無責任な大人が多すぎる」、同意である。しかしそれは自らの手に余る子供を生むことではない。そういう子供を親に押し付けることを当然とする社会を放置していることこそ、本当の無責任なのだ。
それが違うという者は、是非自分は自己責任で生まれて来たということを証明して欲しい。
Dan the Father of Two
人の命って重いものだと思うんですが、じゃあなんで産んだんですか?
貧乏人の家族に補助を出して欲しいなどでなく、
もっと都合の良い子供が欲しいとしか聞こえません。
しょせんただの願望なんですから、滑稽無形な独り言なんですかね