高卒どころか中卒の私が学校の弁護をするのも変な気分ではあるけれど....

たけくまメモ : 独学に勝る勉強はない(1)
今回書こうと考えているのは、「学校の勉強」についてです。俺は、自分が高卒だから言うのではないですが、「学校の勉強」というのは、本当は小学校の六年間で充分ではないかと考えてます。

確かに、今の学校は学科を学習する場としては効率がいいとはとても言えない。学科に関して言えば、塾の方がよほど効率がよい。もちろんこれには金もかかるのであるが、ありがたいことに我が家ではそれはそれほど大きな問題ではない。

そんな私が、近所の公立校に長女を通わせ、そして来年幼稚園を卒園する次女もそうさせるつもりである理由が二つある。

一つは、実に実もふたもない理由。妻と私が教師の代わりとして四六時中彼女達の面倒をみるだけの能力がないからだ。日本ではとにかく、ホームスクーリングというのは世界的には決して珍しいことではなく、海外の知り合いにも自身がホームスクーリングで育ったり、また子女をホームスクーリングで学習させたりという例がかなりあるのだけど、我々ヘタレ夫婦はそこまで「親」になれない。月曜日から水曜日まで一定時間子供がいないというのは、親にとってもずいぶんと楽なのだ。

子供が学校に行っている間に夫婦でエッチをした方、素直に手を挙げて(笑)。

もっとも、これは我が家のように職場が家庭である場合の話であって(今では日本でも決して少なくない。10人に1人ぐらいか)、親が職場に通勤している場合は、子供には家で自習していればいいということにもなる。とにもかくにも、四六時中家族と一緒にいては、親も子もきつい。一定時間親子が離れていることは、家庭を健全に保つのに非常に有用である。

しかし、子供を学校に通わせる理由は、もう一つある。他の子供とつきあう場が、事実上そこしかないからだ。子供は誰から一番学ぶか。実は他の子供たちである。因数分解が出来るようになるとかといった「学科」はそれに比べれば取るに足りない。「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ 」というベストセラーがあったが、この砂場にあたる機能は、家庭ではなかなか用意できないものだ。

もちろん、そこにはいじめなどのリスクもある。その場合の緊急避難場所として、家庭は最後の武器としていつでも使えるようにしておかねばならない。実際我が家では娘が学校に行くのをいやがるときには躊躇なく休ませている。しかし今の時点では、それに飽きればまた娘は学校に行く。そこに授業があるからではく、そこに砂場があるから。

いずれは娘たちの片方ないし双方とももひきこもりになるかも知れない。それ自体は妻も私も構わない。しかし、「引きこもりっぱなし」を妻も私も許さないだろう。家にいるからには、それだけのことをやってもらう。成人を過ぎていたら、当然家賃も取る。我が家は子供たちにとって最終避難場所ではあるが、楽園にするつもりはない。それぞれの楽園は、彼女達がそれぞれ自ら見つけるべきなのだから。

その意味で、今の学校は実に中途半端に思える。まず「砂場」が少なすぎる。午後の授業は必要だろうか。学科として必須なのは母国語と数学ぐらいではないか。二時限もあれば足りるだろう。中学校以降はこれに外国語を加えても、三時限。残りは「砂場」でいいのではないか。

ただし、この「砂場」は望めば学習も出来るようにしておく。ここが肝要である。そこでは子供が学びたいものを、好きなだけ学べるようにしておく。もちろん独学してもよいし、そのへんにいる大人を捕まえて質問攻めにしてもいい。そういう大人が常に出入りしているような場にしておくのだ。「課外授業〜ようこそ先輩〜-」を毎日やっているようなイメージか。

重要なのは、独学ですら一人で出来るわけでもなく、そして独学だけでやっていけるほど今のプロフェッショナルの世界は甘くないということだ。漫画家すらアシスタントとして学ぶ機会があるのとないのとでは大違い。そして独学しているつもりの者であっても、実際のところは図書館で本を読み、インターネットで質問をする。あまりに高度に発達した今の世の中では、渡世という魔法を本当の独学で学び切ることは難しいのだ。

それでも、「人に教えてもらう」場としての学校の効用が急速に薄れていることは事実だろう。親も子もそして学校の「中の人々」も、それから目を背けるべきではない。

Dan the Father of Two